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和歌山市駅120年物語:国内最古の「市駅」の歩みを振り返る

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国内最古の「市駅」の歩みを振り返る

 和歌山市駅は令和5年(2023年)3月21日をもって開業120年を迎えます。本コラムは、120年にわたり和歌山市の発展を支えてきた市駅の歩みに思いを馳せるとともに、多くの市民や利用者に市駅の価値を再認識してもらうことを目的に企画した「和歌山市駅開業120年フェスタ」の一環として、和歌山市民図書館2階イベントスペースにて開催中のパネル展(期間:2023年3月6日〜3月31日、企画・パネル作成:和歌山大学観光学部永瀬研究室)の内容を再構成したものです。

① 和歌山市駅の誕生:明治後期

 和歌山市駅は、大阪・難波を起点とする南海鉄道の南のターミナルとして、明治36年(1903)3月21日に開業しました。5年早く開業した紀和鉄道(現・和歌山線)の和歌山駅(現・紀和駅)に対し、当初から「和歌山市駅」を名乗り、市民の間では「市駅」の通称で親しまれるようになります。和歌山市駅は全国に存在する「〇〇市駅」の中で最も歴史のある「市駅」です※。

※補足【2023/3/19追記】:2023年3月現在、国内には44の「〇〇市駅(しえき)」があります(四日市、今市など地名に「市(いち)」が付くものを除く)。開業順のみを見ると和歌山市駅は6番目ですが、和歌山市駅より古い駅はいずれも開業時の名称が異なり、行政区分の「市」を最初に駅名に導入したのが和歌山市駅です。その後1920年代になると、市制施行に伴う駅名改称により1922年に川越市駅(埼玉県, 1914年に川越町駅として開業)、1924年に足利市駅(栃木県, 1907年に足利町駅として開業)が生まれました。開業年が最も早い松山市駅(愛媛県)は、市制施行(最初の36市の一つとして1889年に市制施行。和歌山市も同年)の前年に「松山駅」として開業しており、松山市駅に改称されるのは1927年です。その他の「市駅」も大半が駅名改称によるもので、開業当初からの例は和歌山市駅を除くと堺市駅(大阪府, 1932年に堺市停留場として開業し、1944年に金岡駅に改称、1965年に再び堺市駅に改称 )、碧南市駅(愛知県, 1977年開業, 貨物駅)、瀬戸市駅(愛知県, 1988年開業)、摂津市駅(大阪府, 2010年開業)の4駅のみです。

>全国の「市駅(しえき)」一覧(pdf)はこちら

戦前の和歌山市駅(初代駅舎)[溝端佳則氏提供]

城下町の外縁に立地した鉄道駅

 難波発の南海電車は、紀ノ川橋梁を渡ると右へと大きくカーブし、市駅に到着します。このルートは蒸気鉄道として明治36年(1903)3月に開業した当時から変わっていません。市駅は旧城下町の外縁部の紀の川沿いに開設されました。

 近代になってから登場した鉄道が、すでに家屋が密集している市街地の内部まで入り込むのは容易ではありませんでした。機関庫や貨物ヤードのための広大な土地も必要であったため、鉄道駅は当時の町外れに立地するのが一般的でした。 市駅より早い明治31年(1898)に開業した旧和歌山駅(現・紀和駅)も、旧城下町の外縁部のうち、なるべく市街地の中心部にアクセスしやすい場所を選んで立地したと考えられます。同様に、例えば大阪駅(明治7年(1874)開業)は旧城下町の北の外れに、難波駅(明治18年(1885)開業)は南の町外れに設けられました。

 まちの中心部へのアクセスは、やがて路面電車やバスの登場により、大都市では地下鉄の整備により改善されました。

【左】明治期の和歌山周辺の路線網(1886年測図の2万分の1地形図に加筆)
【右】大正期の和歌山周辺の路線網(1922年測図の2万5千分の1地形図に加筆)

戦前の和歌山市駅(東側から)[和歌山市立博物館提供]

市駅より5年早く開業した和歌山駅(現・紀和駅)[和歌山市立博物館提供]

明治期の紀ノ川橋梁(現在の上り線)[和歌山市立博物館提供]

市駅から加太・和歌浦へ:交通結節点としての発展

 市駅には開業時から紀和鉄道(後に関西鉄道→(国鉄)和歌山線→紀勢本線)が乗り入れ、2路線の連絡駅となっていました。その後、明治42年(1909)には市駅から和歌浦へ至る市電(当初は和歌山水力電気)が開業します。また明治45年(1912)に紀の川の対岸(後の北島)と加太の間で開業した加太軽便鉄道(現・南海加太線)は、大正3年(1914)に市駅の北側に隣接して和歌山口駅を開設します。こうして市駅は和歌山市の交通結節点として発展しました。風光明媚な海辺の景勝地である加太や和歌浦は、大阪方面からの交通アクセスの向上により人気を集め、大正期にかけて新和歌浦の観光開発も進められました。

市電開業時の和歌山市駅(明治42年)[和歌山市立博物館提供]

『新和歌浦名所交通鳥瞰図』(吉田初三郎 画, 昭和2年)部分 [和歌山大学観光学部永瀬研究室所蔵]

② 市駅から紀南へ:大正期〜昭和前期

 大正後期になると和歌山駅(現・紀和駅)から分岐する形で国鉄紀勢西線(現・紀勢本線)が開業し、市駅は紀南方面への玄関口としても発展します。一方、その際に設置された東和歌山駅(現・和歌山駅)には、昭和5年(1930)に天王寺から阪和電鉄(現・阪和線)が乗り入れ、南海・阪和両社は大阪・和歌山間に加え、国鉄との連絡による紀南への旅客輸送を競い合いました。

昭和3年頃の和歌山市駅[和歌山市立博物館提供]

紀勢西線の開業と東和歌山駅の発展

 大正13年(1924)に紀勢西線の和歌山(現・紀和)・箕島間が開通し、田園が広がる東の町外れに東和歌山駅(現・和歌山駅)が設けられました。紀勢西線は昭和4年(1929)に御坊、同7年に紀伊田辺へと延伸し、同15年には新宮を経て紀伊木本(現・熊野市)まで開通します。

 市駅は紀南方面への列車の発着駅となりますが、一方で東和歌山駅は山東軽便鉄道(現・和歌山電鐡貴志川線)との連絡駅となり、昭和5年(1930)には天王寺から阪和電鉄(現・阪和線)が乗り入れ、市電も延伸するなど、第二のターミナルとして発展しはじめます。

【左】大正末期~昭和4年までの和歌山周辺の路線網(1927年測図の2万5千分の1地形図に加筆)
【右】昭和初期(昭和5年以降)の和歌山周辺の路線網(1934年測図の2万5千分の1地形図に加筆)

阪和東和歌山駅(昭和5年開業)と国鉄東和歌山駅(大正13年開業)[和歌山市立博物館提供]

南海VS阪和:和歌山・紀南への旅客輸送をめぐる激しい競争

 明治期に和歌山県内で鉄道が通ったのは紀北地域のみでしたが、大正後期から国鉄紀勢西線が徐々に南下し、バスの運行も始まります。同時に白浜などの観光地への旅客輸送も盛んになりました。

 南海も市駅・和歌浦間をはじめとするバス路線を営業し、紀勢西線の開業後は紀南への観光客誘致も積極的に行うようになります。その後、昭和5年(1930)の阪和電鉄の開業により、両社はライバル関係になりました。南海は同9年に、難波から市駅を経て紀勢西線の白浜口(現・白浜)への直通列車の運行を開始しました。一方、阪和電鉄も紀南方面への直通列車を運行するとともに、天王寺・東和歌山間をノンストップの45分で結ぶ「超特急」を設定し、当時日本一とされる破格の高速運転を行っていました。

 昭和初期の阪和電鉄の案内図(下図)を見ると、市駅も記載されていますが、南海の路線は示されておらず、両社が激しく競い合っていた状況がうかがえます。

南海沿線案内図(昭和初期)[和歌山大学観光学部永瀬研究室所蔵]

【左】阪和電鉄の時刻表[和歌山大学観光学部永瀬研究室所蔵]
【右】阪和電鉄による和歌山市周辺の案内図[和歌山大学観光学部永瀬研究室所蔵]

➂  戦後の市駅:昭和中期

 昭和20年(1945)7月の和歌山大空襲により和歌山市旧市街地の約3分の2が焼失し、開業時からの駅舎も失われました。 その後しばらくは木造の仮設駅舎が利用されましたが、戦災復興事業により市街地の土地区画整理や幹線道路の整備が進められる中で、昭和30年(1955)には2代目駅舎が竣工し、市駅の利用客数は昭和40年(1965)頃まで順調に増加していきました。

 

昭和40年頃の市駅全景[和歌山市立博物館提供]

戦災からの復興を果たした市駅とまち

 戦後間もなく、市駅前の自由市場の周りには仮店舗が並び始めます。市街地の戦災復興事業が着手される中で、昭和29年(1954)には駅前広場が拡張され、駅前通り(和歌山市駅前線)の整備も進められました。しばらく仮設の駅舎が利用されていた市駅は、昭和30年 (1955)に2代目の新駅舎での営業が開始されました。乗降客数は順調に増加し続け、最盛期の昭和40年(1965)には南海だけで1日約5万4千人が利用する市内最大のターミナル駅として賑わいました※。

※南海和歌山市駅の1日平均乗降客数は、昭和42年(1967)に最高値となる54,353人を記録し、以降は減少していきます。

【左】1950年代前半の和歌山周辺の路線網(1947年測図の2万5千分の1地形図に加筆)
【右】1970年代(市電廃止後)の和歌山周辺の路線網(1973年測図の2万5千分の1地形図に加筆)

再建が進む市駅(2代目駅舎)と整備中の駅前通り(和歌山市駅前線)[和歌山市立博物館提供]

加太線の経路変更

 南海加太線は前身となる加太軽便鉄道が建設した紀ノ川橋梁を通って直接市駅に乗り入れていましたが、昭和25年(1950)からは紀ノ川駅経由の現ルートでの電車運行が開始されます。さらに昭和28年(1953)の水害により加太線紀ノ川橋梁は大きく損傷して不通となり、北島・和歌山市間は昭和30年(1955)に廃止され、残る東松江・北島間の支線も昭和41年(1966)に廃止されました。加太線の旧橋梁は二輪・歩行者専用の河西橋として改修され、現在まで利用されてきましたが、令和7年(2025)に新たな橋梁に架け替わる予定です。

河西橋(旧加太線紀ノ川橋梁)[和歌山大学観光学部永瀬研究室撮影]

和歌山港線の開業

 和歌山と四国・徳島とを結ぶため、戦後の和歌山港の修築にあわせて和歌山港線が計画されました。昭和31年(1956)には初代の和歌山港駅(後の築港町駅)が開設され、航路を介して徳島・小松島港との連絡輸送が開始されます。その後、昭和46年(1971)にはフェリー乗り場に隣接する現・和歌山港駅を経て水軒駅まで延伸されます。港からの木材輸送が目的でしたが、すでにトラックの時代となり、利用客の少ない和歌山港・水軒間は平成14年(2002)に廃止されました。

市駅周辺の航空写真(昭和40年代)[南海電気鉄道株式会社提供]

車社会の到来と市電の廃止

 昭和30年代には和歌山の経済も高度成長期を迎え、自動車の普及により交通渋滞も見られるようになりました。中心市街地と和歌浦・海南方面を結ぶ国道を走っていた市電(南海和歌山軌道線)は、自動車の列に囲まれ立ち往生するようになります。昭和46年(1971)の黒潮国体に向けた道路整備も進められる中で、市電は同年3月に市民に惜しまれながらも廃止されました。

廃止直前の南海和歌山軌道線(321形電車)[和歌山市立博物館提供]

④ 駅ビルの開業と再生:昭和後期〜現在

 和歌山駅(旧東和歌山駅)が発展し、市駅のターミナル機能が低下する中で、昭和47年(1972)には駅舎と商業施設が一体となった「南海和歌山ビル」が竣工します。しかしその後も中心市街地の衰退とともに利用客数は減少を続けました。市駅とまちの活力の再生に向けて市街地再開発事業が導入され、令和2年(2020)に現駅ビル「キーノ和歌山」が開業しました。

南海和歌山ビルとして生まれ変わった市駅(3代目駅舎)[南海電気鉄道株式会社提供]

南海和歌山ビル(3代目駅舎)の開業

 市駅の約20年後に開業し、和歌山市の第2のターミナルとして発展していた国鉄東和歌山駅は、昭和43年(1968)に現駅名の和歌山駅に(旧和歌山駅は紀和駅に)改称され、同年には商業施設を含む駅ビルに改築されました。昭和46年(1971)には市電が廃止され、翌年には国鉄和歌山線の和歌山駅への乗り入れが開始(昭和49年に紀和・田井ノ瀬間が廃止)されたことで、以前は市駅を発着していた和歌山線(五条方面)と紀勢本線(箕島方面)の列車の設定がなくなり(南海・国鉄直通の急行「きのくに」は昭和60年まで運行)、市駅のターミナルとしての機能は低下しました。

 市駅の利用客減少に歯止めをかけるため、昭和47年(1972)に3代目駅舎と一体となった地下1階・地上7階の南海和歌山ビルが竣工し、翌年には全館で営業を開始します。2階の改札口に続くアーチ状空間に覆われた大階段は花壇に彩られ、核テナントとなる髙島屋のほか、飲食店、銀行、診療所なども入居し、市民生活の新たな拠点となりました。

昭和50年〜現在の和歌山周辺の路線網(1998年測図の2万5千分の1地形図に加筆)

駅ビルとなった国鉄和歌山駅(昭和46年)[和歌山市立博物館提供]

南海和歌山ビルの完成イメージ図[南海電気鉄道株式会社提供]

中心市街地の衰退と和歌山市駅活性化計画の具体化

 和歌山市の人口は昭和50年代後半の約40万人をピークに減少を続け(令和5年1月現在は約35万人)、車社会と郊外開発も影響し、市駅を取り巻く中心市街地は衰退していきます。平成13年(2001)にはぶらくり丁の丸正百貨店が閉店するなど、地域経済も低迷する中で、市駅の乗降客数は最盛期の3分の1にまで落ち込みました。

 平成26年(2014)8月に市駅ビルの髙島屋が撤退し、衰退に拍車がかかる中で、翌年5月に南海電鉄と和歌山市が共同で「和歌山市駅活性化計画(構想)」を発表します。市街地再開発事業による駅ビルの建て替え、市民図書館の市駅への移転、ホテルの導入、新たな商業施設などが計画され、平成29年(2017)3月にオフィス棟、令和元年(2019)にホテル棟・商業棟・公益施設棟(市民図書館)が竣工しました。

平成26年(髙島屋閉店前)の南海和歌山ビル[和歌山大学観光学部永瀬研究室撮影]

和歌山市駅活性化計画の完成イメージ図[和歌山市提供]

キーノ和歌山の開業

 4代目駅舎と一体となった複合施設「キーノ和歌山」は令和2年(2020)6月に開業し、和歌山市の生活と交流を活気づける新たな拠点として定着しつつあります。和歌山にゆかりの飲食店とスーパーマーケットなどの店舗が集まる商業ゾーンはコロナ禍においてもにぎわいを見せ、装いを新たにした市民図書館は民間事業者が指定管理者となり、カフェや物販スペース、子ども図書館、子育て支援拠点、屋上広場、多目的ルームや自習スペースなどを備え、幅広い世代の多くの人々に利用されています。

 また同年末には歩行者空間を拡充した駅前広場が完成し、イベント等での積極的な活用が推進されています。

市街地再開発事業により完成した現在の市駅ビル「キーノ和歌山」[和歌山大学観光学部永瀬研究室撮影]

【参考文献】

  • 南海電気鉄道株式会社編(1985)『南海電気鉄道百年史』南海電気鉄道
  • 和田康之(2008)「回想の南海電車 -昭和30年代を中心に-」『鉄道ピクトリアル』807, pp, 136-141
  • 神坂次郎監修(2009)『ふるさと和歌山市 : 和歌山市120年のあゆみ』郷土出版社
  • 和歌山市立博物館編(2009)『写真にみる戦後の和歌山 : 復興と人々のくらし』和歌山市教育委員会
  • 和歌山市立博物館編(2013)『市電が走っていた街 : 開業から廃止まで』和歌山市教育委員会
  • ニュース和歌山株式会社編(2015)『ニュース和歌山が伝えた半世紀: 1964→2014』ニュース和歌山