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まちかど探訪 : 城下町の水辺の記憶をたどる ~市堀川 その2~

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城下町の水辺の記憶をたどる 〜市堀川 その2~

 城下町以来のまちの歴史を伝える市堀川(和歌山城外堀)の見どころを紹介します。

市堀川周辺マップ(和歌山市都市計画図および和歌山地理学会編(2008)『城下町が息づく和歌山を歩こう!』を元に和歌山大学観光学部永瀬研究室作成)

「市堀川周辺マップ」PDFデータ

①京橋

 京橋は江戸期に和歌山城の正面入り口の京橋御門の前に架けられた橋で、大坂や奈良・京都へ続く街道の起点となっていました。この街道は現在の本町通りで、参勤交代で江戸に向かう際などに利用される重要なルートとなっていました。京橋御門の南側には紀州藩の重臣の屋敷が並ぶ三の丸があり、武士以外の橋の通行は禁止されていました。橋の北側には火の見櫓と番所があり、和服などの大きな商店が集まり人々で賑わっていました。
 明治になり、三の丸は一番丁~十三番丁となり、公的機関や学校、オフィスなどが建ち並ぶようになりました。1909年の市電開通に伴い橋梁が拡げられ、1929(昭和4)年に鉄筋コンクリートの現在の橋が竣工しました。

「京橋御門の外 納屋河岸あたりの図」『城下町の風景』(編集=額田雅裕、彩色=芝田浩子、発行=ニュース和歌山)より

昭和初期の京橋(出典:『写真にみるあのころの和歌山 -本町編-』)

   1992(平成4)年には橋がリニューアルされ、道路を挟む形で両側に「京橋プロムナード」という広場が作られました。広場にはベンチが置かれ、イベント等でも活用されています。東中央には籠の形のからくり時計があり、紀州が舞台の童謡「鞠と殿様」のメロディが流れる仕掛けになっていましたが、現在仕掛け部分は動いていません。また広場北西角には「里程元標記念碑」があります。南詰西側の少しお城側に「京橋門阯の石碑」が建てられています。また、2019年には京橋御門の石垣の一部が橋の下に残されていることが発見されました。 

京橋

京橋プロムナード

左から「からくり時計」「京橋門阯の石碑」「里程元標記念碑」

発見された江戸期の京橋御門の石垣の一部

②中橋

    中橋は、江戸期に納屋河岸と和歌山城三の丸を繋いでいた橋で武士しか渡れませんでした。もともと鷺森別院の南門から和歌山城に続く道(現在より約50m西側)に架けられていましたが、戦災で焼け落ち、戦後の復興区画整理事業により1953年(昭和28年)に現在の位置に架け替えられました。その際、戦後の資材不足の影響か、元々他県で使われていた鉄道橋を移設したもので、鉄道の鉄橋らしい三角形が連なる構造体が、まちなかには珍しい特徴ある姿を見せています。現在も中橋を南向きに見ると、正面にお城の天守閣が見えます。

三角形の構造体が特徴的な中橋

中橋から正面に見える和歌山城

    この中橋のたもとに戦災の記憶を伝える「中橋地蔵尊」があります。1945年7月9日の和歌山大空襲の際に、地区住民が戦火を逃れ市堀川の水中に避難した際、満潮と重なり多くの人々が亡くなりました。その霊を弔うため、市民有志が1970(昭和45)年に建立した地蔵尊で、毎年7月9日には慰霊祭が行われます。

中橋地蔵尊

③寄合橋

    寄合橋は、町人町の「内町」と「湊」をつなぐために、町方が架設費や維持費を負担して造られた橋です。三の丸を通行できない町民にとって、寄合橋は本町と城下南部を結ぶ幹線にある橋であり、寄合橋の東詰には火の見櫓や番所が、西詰には高札場が設けられていました。付近には昌平河岸という物資の荷揚場があり、賑わいの様子は紀伊国名所図会からも確認することができます。

「寄合橋」『城下町の風景』(編集=額田雅裕、彩色=芝田浩子、発行=ニュース和歌山)より

「昌平河岸夜店の図 其二」『城下町の風景』(編集=額田雅裕、彩色=芝田浩子、発行=ニュース和歌山)より

    現在の橋は1941(昭和16年)に完成した鉄筋コンクリートの橋であり、アーチ状の美しいシルエットを持っています。第二次世界大戦の空襲で周囲の商家等は全焼しましたが、橋は残って現在に受け継がれ、戦災の被害を後世に伝える貴重な史跡としての役割も果たしています。東詰北側の親柱には「和歌山市堀川」と記され、これが「市堀川」の呼称の由来の一つとされています。

寄合橋

戦災の記憶を伝える寄合橋

「和歌山市堀川」と記された東詰北側の親柱

④藩校跡 ~南方熊楠を育んだ寄合橋界隈~

    寄合橋の近くには紀州藩の藩校「学習館」がありました。現在は南方熊楠(1867-1941)の父が創業した南方酒造の後身として知られる「世界一統」の酒蔵があり、藩校跡の碑と南方熊楠に関する案内板が設置されています。その先の市堀川沿いでは、春には美しい桜並木を見ることができます。藩校のルーツは徳川吉宗が設置した湊講堂に遡り、十代藩主の徳川治宝が修築し「学習館」と名付けました。藩士だけでなく向学心のある一般庶民も聴講を許され、城下の人々の教育水準を高める役割を果たしました。

「学習館全図」『城下町の風景』(編集=額田雅裕、彩色=芝田浩子、発行=ニュース和歌山)より

世界一統横の市堀川川岸の桜並木

    藩校近くの橋丁に生まれた熊楠は、少年期まで寄合橋界隈で過ごし、藩校跡に出来た雄(おの)小学校(後の和歌山市立雄湊小学校、現・伏虎義務教育学校)に通いました。幼年期に多くの書物と出会い、幅広い学問の基礎を学びました。その後、青年期からアメリカ、イギリスに留学し、民俗学・博物学・植物学者として在野で活動を続け、知の巨人と言われました。また、自然環境保護活動、「エコロジー」の先駆者でもあり、和歌山城の東内堀の埋立て計画差し止めにも尽力しました。現在、市堀川対岸にある生誕地には、熊楠の胸像が設置されています。

藩校跡の碑と南方熊楠の案内板(左)と熊楠の胸像(右)

⑤京橋親水公園

    2022年3月に、京橋と中橋の間の市堀川沿いに「京橋親水公園」が開園しました。このあたりには、江戸時代には、「納屋河岸」があり、多くの人々で賑わっていました。近年は市営駐車場となっていましたが、かつての水辺の賑わいを現代に取り戻すべく社会実験が行われ、親水公園として生まれ変わりました。
    公園内には東側にキッチンカーの出店やイベント開催等ができる多目的広場が設置されています。オープニングイベント時には、水上アクティビティも開催され多くの人で賑わいました。西側には子どもが遊べる噴水施設や遊具広場、トイレ等が設置され、市堀川の歴史に関する案内板や納屋河岸の記念碑などが設置されています。

京橋親水公園

親水公園オープニングイベント水上アクティビティの様子

「納屋河岸」の記念碑(左)と「市堀川」の案内看板(右)

噴水施設

市堀川遊歩道

    市堀川沿いの寄合橋から堀詰橋の先(和歌川との合流点付近)までの両岸には遊歩道が整備されています。京橋親水公園や橋詰などに入口の階段が設けられ、水辺の遊歩道に降りることができます。開放時間は9時~17時となっており、誰でも歩くことができますが、一部通行できないところや、通り抜けができない区間もあります。

 市堀川はかつては和歌山城の外堀として、北側の町人地と南側の和歌山城三の丸を隔てていました。南側(三の丸側)の地盤は北側(町人地側)よりも高く築かれており、遊歩道を歩くと両岸の高さの違いを確認することができます。また南側の遊歩道沿いには、明治期以降のものと推定される紀州青石の石積み護岸を、所々に見ることができます。

 城北橋から京橋にかけての遊歩道では、夜になるとイルミネーションが点灯し、橋の上などから幻想的な夜景を眺めることができます。

京橋から中橋へ向かう北側遊歩道

中橋の下をくぐる北側遊歩道

寄合橋に向かう西側遊歩道

南側遊歩道沿いに見られる紀州青石の石積み

和歌川合流地点に向かう遊歩道

京橋から中橋を見たイルミネーション

江戸時代から現在まで、長い年月和歌山市の中心を流れ続けてきた市堀川、歴史ロマンを感じながら遊歩道を散策してみてはいかがでしょうか。

■参考文献■
・額田雅裕 解説・柴田浩子 彩色(2009) 『城下町の風景 ー カラーでよむ『紀伊国名所図会』ー』ニュース和歌山
・和歌山市立博物館(2009)『写真にみるあのころの和歌山 -本町編-』)
・三尾功(2011)『城下町和歌山夜ばなし』 宇治書店
・和歌山地理学会(2008)『城下町が息づく和歌山を歩こう!』
・中西重裕(2002)『わかやまワクワク探検隊 明治・大正・昭和たてもの物語』K&Nアーキテクツ
・安藤精一、五来重監修(1983) 『日本歴史地名大系 31』 平凡社
・和歌山市「和歌山市歴史的風致維持向上計画」 http://www.city.wakayama.wakayama.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/018/740/rekimachikeikaku-hennkou4.pdf
・水辺空間を活かしたまちづくり手法検討・調査事業報告書 http://www.city.wakayama.wakayama.jp/shisei/1009206/1016013.html
・紀の川水系 和歌山市域河川整備計画 https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080400/keikaku/seibikeikaku_d/fil/wakayamashiiki-keikaku.pdf
・「京橋御門名残りの石垣か」『ニュース和歌山』/2019年6月8日更新 https://www.nwn.jp/news/190608_kyobashi/

◆取材記事担当:佐野穂奈美[和歌山大学観光学部2年]、仲野沙弥香[和歌山大学観光学部2年]、西寅穂花[和歌山大学観光学部2年]、古井太郎[和歌山大学観光学部2年]、平井千惠[(一社)市駅グリーングリーンプロジェクト]、永瀬節治[(一社)市駅グリーングリーンプロジェクト/和歌山大学観光学部准教授]

※本記事は和歌山大学観光学部プロジェクト演習と連携して作成しました。また、関西大学・大学院 非常勤講師、和歌山歴史地理研究会会長(和歌山市立博物館元館長)の額田雅裕氏にアドバイスを頂きました。