COLUMN

コラム

まちかど探訪 : 和歌山の礎・雑賀衆の記憶をたどる ~本願寺鷺森別院と雑賀衆 その2~

  • まちかど探訪
SCROLL

和歌山の礎・雑賀衆の記憶をたどる ~本願寺鷺森別院と雑賀衆 その2~

 和歌山の礎・雑賀衆と歴史の舞台でもあった本願寺鷺森別院の見どころスポットを紹介します。

鷺ノ森周辺マップ(和歌山市都市計画図および和歌山地理学会編(2008)『城下町が息づく和歌山を歩こう!』を元に和歌山大学観光学部永瀬研究室作成)

「鷺ノ森周辺マップ」PDFデータ

①本願寺鷺森別院

   本願寺鷺森別院は、南海和歌山市駅から東へ徒歩5分ほど行ったところにある鷺ノ森1番地にある寺院です。かつて本願寺の本山のあったお寺で、雑賀衆と深い関わりがありました。親鸞聖人を宗祖とした浄土真宗本願寺派に属し、本山は龍谷山本願寺(西本願寺)で、ご本尊は阿弥陀如来です。

鷺森別院門横に「鷺森御坊」の案内版が設置されている。

鷺森御坊案内板(山門横に設置)

   江戸期の本堂は第二次世界大戦で被災し、戦後再建された後、1990(平成6)の顕如上人四百回忌の記念事業として1994(平成6)年に現在の本堂に建て替えられました。
 2階の本堂内には、正面にご本尊の阿弥陀如来が安置された祭壇があり、手前は畳敷きの大広間になっています。祭壇の両側にある襖には、鷺ノ森の地名の由来でもある鷺の絵が描かれています。

本堂内にある祭壇と鷺の襖絵

 本願寺鷺森別院では、お彼岸やお盆の法要以外に、毎年、5月13日〜16日には、「二尊会(にそんえ)」と言われる、親鸞聖人と蓮如上人が描かれた連坐絵像を奉懸してお勤めする法要が行われています。5月下旬には、親鸞聖人の誕生を祝う法要「宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)」、11月24日〜28日には、親鸞聖人の恩徳に報謝する法要「報恩講」が行われます。また毎月15、16日には「常例法座(じょうれいほうざ)」があり、誰でも参拝ができます。

 法要以外の日でも、1階にある事務所へ声がけをすれば、本堂の参拝は可能です。なお本願寺鷺森別院では、浄土真宗の教えにより、御朱印、お守り等の用意はありません。

【本願寺鷺森別院所在地等】
◇ 所在地 〒640-8053 和歌山市鷺ノ森1番地
本願寺鷺森別院ホームページはこちらから

②城下町に残された鷺森寺内の町割

 1855(安政2)年の和歌山城下町絵図を見ると、整然とした城下町の中で、鷺ノ森付近だけ異なった町割になっています。このことからも、城下町より先に鷺森寺内が形成され、城下町の町割ができた後も、そのまま残されていたことがわかります。また、江戸時代の鷺森別院の本堂は東向きに建てられていたうえ、正面の門の方角も現在とは異なりました。

安政2年和歌山城下町絵図(和歌山市立博物館蔵)(出典:和歌山市史編纂委員会編(1992)『和歌山市史』第10巻(別編), 付図2)

    この町割は、近代になっても変更されず第二次世界大戦前までそのまま残っていましたが、戦災で建物は焼失し、戦後の区画整理事業により街路は付け替えられました。また、鷺森別院も再建時に現在の南向きに改められました。その中で鷺森別院西側の道と新道と明神町の間の道の二箇所は、昔のまま残されました。残された鷺森別院の西側の道は、南北に直線ではなく、斜めの状態で残っています。「鷺ノ森明神丁」や「鷺ノ森中ノ丁」などの地名も周辺に現在も残っており、往時を偲ぶことができます。

戦災復興事業による鷺ノ森周辺の街区の変化(大阪市都市整備協会編(1992)『和歌山市戦災復興誌』の付図を基に和歌山大学永瀬研究室作成)

残された鷺森別院西側の道

③雑賀孫一ゆかりのお寺 ~専光寺~

 鷺森別院のすぐそばの専光寺門前丁に、雑賀孫一の兄と伝わる「中嶋孫太郎」が2代目住職であった「専光寺」があります。中嶋孫太郎は、中之島の地域城である中津城(現在のJR紀和駅周辺)の城主であったとも伝わっています。石山合戦で本願寺方の先鋒を務めるなど活躍し、その後出家し、釈順勝と名乗り専光寺の住職となりました。 

 『紀伊風土記』によると、専光寺は、1494(明応3)年に、妙慶尼が和歌山市中之島に建立、1607(慶長12)年に駿河町に移り、1686(貞享3)年に現在地に移ったとされています。戦災を受け現本堂は1952(昭和27)年に再建されました。

 境内に入ってすぐ右手にある手水鉢は、1577(天正5)年の織田軍の雑賀攻めの時に、雑賀孫一が、合戦で血の付いた槍を、この手水鉢で洗ったという言い伝えがあります。顕如上人がヨメガカサという貝に見立て「嫁が傘」と名付けたと専光寺に伝わっています。

孫一ゆかりの手水鉢

【専光寺所在地等】
◇所在地:〒640-8041 和歌山県和歌山市専光寺門前丁5
◇問合せTEL:073-431-4531 

④鷺ノ森の複合遺跡

 鷺森別院周辺の鷺ノ森には弥生時代からの複合遺跡があります。これまで13次に及ぶ発掘調査がされています。1992(平成4)年の調査では、町と町の間に通っていた「大水道」などが検出され、2012(平成24)年の調査では、城下町とは異なる鷺森寺内の道路・町割などが検出されました。
 江戸時代の鷺森寺内の屋敷地下層からは幅約17mの堀跡が検出され、寺内を囲う大堀と考えられ元和年間(1615~24)に埋め戻されたといわれています。
 発掘調査で見つかった和歌山城下町に構築された排水施設の一部が復元され、伏虎義務教育学校の敷地に隣接した場所に移設して展示されています。

復元された城下町の排水施設の一部

⑤雑賀衆PR拠点「孫市城」

    戦国の鉄砲大将「雑賀孫市(孫一)※」を旗印に和歌山市駅前の街おこしをしようと、市民有志により「孫市の会」が2006(平成18)年に発足しました。雑賀衆再現のための手作り甲冑(兜と鎧)や本物そっくりの模擬火縄銃の製作を始め、市民向けに手作り甲冑教室も開催しています。また「孫市まつり」や「市駅夏まつり」では、紀州雑賀鉄砲衆と連携し、甲冑姿で鉄砲演武を披露しています。

また、「孫市の会」では、雑賀衆のPR拠点「孫市城」を和歌山市駅近くに開設し、「孫市」や雑賀衆に関する情報発信や「雑賀孫市と雑賀衆」のグッズの販売も行われています。

※「孫市の会」は、雑賀孫一を和歌山市駅周辺の活性化のシンボルと位置づけ、市駅の「市」の文字を含む「孫市」の表記を用いて活動しています。

手作り甲冑教室の様子(孫市の会ホームページより転載)

孫市城

■「孫市城」にお越しの際は、事前に下記連絡先までお問い合わせください。
【紀州雑賀「孫市城」所在地等】
◇所在地: 〒640-8211 和歌山市西布経丁1-13
◇問合せTEL:090-9888-0881(孫市の会・森下)
孫市の会ホームページはこちらから

⑥雑賀衆に関する貴重な歴史資料 ~和歌山市立博物館~

  和歌山市駅から南西(北大通り沿い)に徒歩5分の位置にある和歌山市立博物館には、常設展示の中に「中世-荘園世界と雑賀の人々」のコーナーが設けられ、雑賀衆や鷺森別院に関する多くの貴重な収蔵品を見ることができます。

 展示には、石山合戦で織田信長と戦った雑賀衆が着用した「雑賀鉢」(紀州で製作された機能美に優れた兜)や、織田信長が1576(天正4)年に雑賀の宮郷、中郷、南郷に宛てた「織田信長朱印状」、火縄銃の展示など、戦国時代の雑賀衆の活躍が偲ばれる多くの品々を見ることができます。

展示されている「鉄錆地雑賀鉢兜」

展示されている「織田信長朱印状」

「中世-荘園世界と雑賀の人々」鉄砲と雑賀衆関連展示

【和歌山市立博物館所在地等】
◇所在地 〒640-8222 和歌山県和歌山市湊本町3丁目2番地
和歌山市立博物館ホームページはこちらから

 

■参考文献■
・額田雅裕 解説・柴田浩子 彩色(2009) 『城下町の風景 ー カラーでよむ『紀伊国名所図会』ー』ニュース和歌山
・三尾功(2011)『城下町和歌山夜ばなし』 宇治書店
・鈴木 真哉(2004)『戦国鉄砲・傭兵隊―天下人に逆らった紀州雑賀衆 』平凡社新書
・和歌山市立博物館(1994)『和歌山市立博物館総合案内』
・和歌山市立博物館 (2019)特別展『雑賀衆と鷺ノ森遺跡ー紀州の戦国ー』
・孫一と雑賀鉄砲衆ガイドブック(2015)『紀伊国・雑賀の里 孫一と雑賀鉄砲衆』 特定非営利活動法人・まち https://www.wakayamakanko.com/img/pdf_saika.pdf
・「雑賀の地名と雑賀衆のかかわりは?」『ニュース和歌山』/2021年9月11日更新 https://www.nwn.jp/feature/210911nazo_saika/
・名字由来net https://myoji-yurai.net/

◆取材記事担当:岡田水緒[和歌山大学観光学部2年]、中地雄大[和歌山大学観光学部2年]、野中亮甫[和歌山大学観光学部2年]、平井千惠[(一社)市駅グリーングリーンプロジェクト]、永瀬節治[(一社)市駅グリーングリーンプロジェクト/和歌山大学観光学部准教授]

※本記事は和歌山大学観光学部プロジェクト演習と連携して作成しました。また、関西大学・大学院 非常勤講師、和歌山歴史地理研究会会長(和歌山市立博物館元館長)の額田雅裕氏にアドバイスを頂きました。