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百年老舗Vol.5 : をぐらや ~伝統を守る心で、和の素材の新たな扉を拓く人形店 ~

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《百年老舗とは…》

   時代の流れの中でしなやかに変化を遂げながら、まちとともに歩み続ける老舗。和歌山市駅周辺にも、百年以上の永きに亘り、多くの苦難を乗り越えて事業を営んできた“老舗”と言われる商店があります。ふとしたまちかどに佇むそれぞれの商店に受け継がれてきた、老舗ならではの理念や工夫などの興味深いお話を、経営者の方々にインタビュー形式で伺いました。それらを“百年老舗”と銘打ち紹介していきます。

伝統を守る心で、和の素材の新たな扉を拓く人形店 ~をぐらや~

 をぐらやは1889(明治22)年に、和歌山市本町2丁目にて「履物店」として創業。戦災を乗り越え、戦前から続く日本唯一の人形小売専門店として136年の長きにわたり商いを続けています。
 
 をぐらや4代目社長の森田亨弘さんに、永年お店を続けられて来られた経緯やエピソード、お店に対する想いなどのお話を伺いました。

取材風景

1.をぐらや 商いの歴史

Q.お店の由来や人形販売に携わるきっかけなど、お店の歴史について教えてください。

 明治22(1889)年に、初代の河原のぶが、小倉村(現・和歌山市小倉地区)から出て来て、本町2丁目に「履物店」を創業したと聞いています。をぐらやの屋号の由来は、正式には伝わっていませんが、この初代の出身地を屋号にしたのではないかと言われています。

 をぐらやは、代々女系で娘夫妻が引き継いでいます。河原のぶの娘の八重子が店を継ぎ、その頃から人形を置くようになりました。当時、人形の産地の兵庫県小野市から営業に来ていた問屋の息子が、後に八重子と結婚し、2代目店主・河原邦夫となります。この河原邦夫、八重子の代に、人形専門店となり、邦夫の人形作りの知識や技術を活かして人形教室も開催するなど、専門店として発展させていったと聞いています。

 その後、店は戦災にも遭いましたが、戦後に再建して、1954(昭和29)年には法人化することができました。その後、河原夫妻の娘・作子(現会長)の夫・土井康生が3代目店主となりました。1990(平成2)年には当時の丸正百貨店の建て替えがあり、をぐらやの店舗部分の土地を所有した状態で、丸正百貨店ビルの一角に店を構えることになりました。これが現在の店舗です。

    そして2010(平成22)年に、土井夫妻の娘・充子の夫である私(森田亨弘)が4代目店主となっています。

Q.何かお店に関する古いものが残されていますか?

 店が戦災に遭ったためほとんど残っているものが無いのですが、履物店の頃に販売していた古い下駄を従業員のおばあさまがお持ちでしたので保管しています。下駄の裏に屋号のシールのようなものが貼ってあるのですが、現在の社名ロゴと同じものが使われており、今の店名の字体が創業当時から受け継がれてきていることに驚きました。

履物店の頃に販売していた下駄

    戦後の様子を伝えるものとして、昭和39(1964)年の朝日新聞の記事があります。当時の和歌山市内の老舗と言われていた店の紹介文が並んでいて興味深い内容です。をぐらやについては、2代目の河原邦夫の人形に対する情熱について書かれています。

昭和39年2月23日の朝日新聞(和歌山版)記事

2.老舗に対する思い

Q.森田さんは外から和歌山に来られたそうですが、をぐらやを継ぐことになった経緯を教えてください。

 私は、富山県高岡市の出身です。18歳で京都の大学に進学し、卒業後は繊維の商社・外村株式会社に入社して、テキスタイルコンバーターとして働きました。これは生地メーカーとアパレルメーカーの間に入り、生地の企画提案を行う仕事です。その会社で、をぐらやの4代目となる充子と出会いました。結婚後は、繁忙期には店を手伝うために和歌山に来ていました。当時の私の担当は、「ヒロココシノ」や「ハナエモリ」など東京のメーカーであり、結婚してから5年間は自宅のある京都と東京、和歌山の3拠点を行ったり来たりと忙しい日々を過ごしました。

 2006(平成18)年、36歳の時に、外村株式会社を退職し和歌山に移住して、をぐらやに入社しました。当時はバブル崩壊の後の失われた時代と呼ばれる時期で、和歌山では丸正百貨店が閉店し、ぶらくり丁商店街から人通りが消えていったころです。大変なところに来てしまったと思いました。

 2010(平成22)年に先代より「明日から頼んどか〜」と言われ代表を引き継ぐことになりました。

Q.お店を継がれた際に、違う分野の仕事に戸惑いはありませんでしたか?

 人形は個別のパーツごとに、別々の職人が制作しています。人形にどういう衣装を着せるのかを決めていくプロセスは、アパレルの仕事と近いと感じています。一般的な人形店の多くでは、メーカーの既製品を販売していますが、私たちは夫婦でデザイン関係の仕事をしていた経験を活かして、人形の顔や着物、道具類を自分たちで企画し、一つ一つオリジナルの商品づくりをはじめました。手間はかかりますが、お客様に自信を持ってお勧めできる唯一無二の人形が出来上がり、人形も量販店等やネット等どこでも買える時代になる中で、他の人形店との差別化にもつながりました。

 雛人形や五月人形を中心とした人形販売は季節的な要素が大きく、年末から5月にかけて販売のピークを迎えます。それが落ち着くと、日本全国の人形産地で展示会が開催され、そこで発注をかけ11月頃に商品が上がってくるサイクルです。夏場は何をしているかと良く聞かれますが、結構忙しくしています。ただ最近はそのサイクルも変わってきています。

Q.家業を継ぐことへの迷いや、プレッシャーはありませんでしたか?

 をぐらやは、伝統ある老舗の人形店ではありますが、代々娘の配偶者が店を継いだことで、異業種の経験がある経営者が外から入ってくる形になり、常に老舗に新しい風が入ることになりました。外の人が継いできた店なので、老舗というプレッシャーは代々無かったのではと思われます。伝統の良い面を引き継ぎながら、新たなチャレンジも積極的に行ってきたことが、長く店が続いてきた要因ではないかと思います。

 自分が社長を継いだ時も、特に引き継ぎも無く、先代は「後は任せる」と言って店に来なくなりましたので、伝統ある店を受け継ぐというプレッシャーはありませんでした。引き継いでからは、よそにはないものを提供することと、人形専門店を残すということに注力してきました。

3.お店の現状、こだわりや工夫について

Q. お店の理念やコンセプト、仕事をする上でのこだわりはありますか?

 元々先代から伝わる教えのようなものは無かったようで、代々受け継いできた娘が、しっかりと人形店の伝統を守り、一本筋を通してきたと思います。現在のお店の理念としては、以前に私たち夫婦が働いていた外村は近江商人の会社だったので、「売り手の自分」「買い手のお客様」「世間」の全てに利益がある「三方良し」を座右の銘にして、経営しています。

Q.  近年の人形業界はどう変化していますか?

 少子化と言われるようになって随分経ちましたが、2021年頃までは少子化の影響はそれほどありませんでした。生まれた赤ちゃんは6つのポケットを持っていると言われ、ご両親とそのご両親が、それぞれ子や孫のためにと買われていました。昭和の時代は、後継ぎの長男が生まれると鎧兜、次男が生まれて兜飾り、大型の鯉のぼりに新しい鯉を付け加える等、五月人形や鯉のぼりもどんどん売れたようです。しかしここ数年、特に2、3年前から急激に売れなくなりました。少子化の影響も大きいですが、物価高の影響と、祖父母の世代が、高度経済成長の頃のお金を持っていた世代から、バブル崩壊後に働いてきた世代に替わっていったことも大きいと思います。

 また、10年ぐらい前まではマンションのベランダからでも鯉のぼりが出ていましたが、今ではほとんど見られなくなりました。個人情報を知られたくない人が増えたことも、鯉のぼりを外に掲げなくなった要因ではないかと思われます。鯉のぼりは、川で流す地域行事など、行政向けのもの以外は売れなくなりました。鯉のぼり産地が一番打撃を受けています。

 雛人形も、以前は7段や5段飾りで間口110cm以上のものが多く売れ、店内一杯に展示していましたが、現在は間口35cmの小型のものが主流となり、男雛と女雛だけを飾るものが多くなりました。

従来の7段の雛飾り

Q.人形販売以外の事業について教えてください。

 ひとつは、「鍛冶屋町ブルー」です。鍛冶屋町に倉庫があるのですが、その隣にある昭和30年代の古民家を8年前に購入し、自分でリフォームして使えるようにしました。最初は趣味の楽器を楽しんだりしていましたが、その後、固定資産税くらい払えるようにと、シェアスペースにして貸し出すようになり、城下町の頃からの地区名「鍛冶屋町」と屋根の色「ブルー」からネーミングしました。毎週入れ替わりで、シェアキッチンやハンドメイドアーティストのイベントなどを開催しています。

鍛冶屋町ブルー

鍛冶屋町ブルーで開催した展示会の様子

 2024年には、シェアスペースと販売の新たな拠点として、京都市内に「哲学の道ブルー」を開業し、お雛様などの日本の伝統文化を伝える新たな場として活用しています。哲学の道沿いのギャラリーを受継ぎ営業していますが、自社でイベントもやりますし、スペースを貸すこともあります。人気のシェアスペースとなり、2027年まで貸し出しの予約で埋まっています。来店者の8割以上が外国人で、海外展開等色々な可能性があると考えています。

哲学の道ブルー

    もう一つが、久留米絣で作るモンペの「moppen」です。福岡県八女市に人形の仕入れに行った際に、久留米絣のイベントで展示されていたもんぺが、自分には北欧のデザインのように見えました。生地を自分で仕立てたら、思った以上に良いものになり、これはもしかしたら商売になるのではと考え、「日本のジーンズ・もんぺ」として販売を始めました。久留米絣の生地は、豊田自動織機の戦前の機械で現在も織っている下川織物にお願いしています。昔の機械は糸に空気を含みふんわりと仕上がる良さがあります。

    生地の良さと、自分で選んだ生地を組み合わせてオリジナルのもんぺを作れることが評判となり、口コミで広がっていきました。鍛冶屋町ブルーで展示イベントをされていた県外のアーティストが地元のお店で着てくださって、それを見たお客様から自分の地域でも展示会を開催して欲しいと要望があり、県外で展示会を開催するようになりました。岐阜、千葉、茨城、兵庫、富山、佐賀、沖縄、東京などでも開催しています。

 商品名は「モンペ」では響きが良くないので、「もっぺん着てみたい」という意味も加味して「moppen」と名付け、商標登録も行いました。1回の展示会で100本以上の受注があり、従業員と外注でフル稼働して今では1ヶ月半待ちの人気商品となっています。これからも販売は伸びると思われますが、縫製職人の確保が課題です。

Moppenの展示会風景

Q. 若者や新規顧客の獲得のために取り組んでおられることはありますか?

     人形の販売は幅広い世代が対象となります。18歳のお母さんにも、50歳のお母さんにも選ばれるようなものを意識して制作しています。moppenの購入者層も幅広く、子供服や、介護服としても着ていただいています。moppenのメインターゲットは妙齢の女性で、ゆくゆく孫が生まれる世代です。をぐらやは節句の人形店なので、一生のうちに何回も来る店ではありません、moppenのお客様が「をぐらや」が人形店だと初めて知って、お人形を買っていただくケースもあります。相乗効果が出てきていると感じています。

     moppenの評判は、口コミのみで広がりました。CMで売れるのではなく、素材や商品の良さが口コミで広がって売れていく形を目指しています。口コミの力は大きく、SNSの発信力は凄いと感じています。鍛冶屋町ブルーのインスタグラムを毎日更新していたら、日々2000ビューになり、面白くなってきました。

     他には、業界全体でアニメの活用が進んでおり、日本人形協会が購入者に配布する「人形のしおり」は数年前から全てアニメを活用したものになりました。

     ネット販売はやっていかなければならないと何年も考えており、検討課題となっています。しかし、雛人形は一点もので、ネットでは良さが伝わりにくく、例えば20万円の人形を10万円で売ってしまう会社があると、「をぐらやは高い」となります。また、管理するオペレーターも必要になり導入は簡単ではありません。

     現在、和歌山バスで人形とmoppenの2台ラッピングバスを走らせています。moppenのバスは可愛いと好評です。また、WBS和歌山放送で毎週日曜日の朝に放送される「ハレ。ラジオ」という番組に出演して、二十四節気や七十二候、五節句の風習など、日本の伝統文化や季節の話をお届けしています。

moppenをラッピングした和歌山バス

Q. ぶらくり丁付近に店を構えるメリットはありますか?

    ぶらくり丁の商店街は衰退したと言っても、和歌山ではブランド価値は大きく、そこに昔から店舗を構えて来たということに価値があります。私個人としても、初めて和歌山に来た時は知り合いもおらず、どうしたものかという時に、「ぶらくり丁」の6つの商店街で構成する中央商店街連合会に入れてもらって、友達を増やすことができました。2006年にライブハウスの方と「ぶらくりスウィング」という音楽イベントを立ち上げて、8年間開催することもできました。

 よそ者に風当たりが強いということもなく活動ができましたが、ぶらくり丁の6つの商店街全体でイベントをやるとエリアが広く、どうしても温度差が出ます。賛成される方と反対される方がおられて、全体で何かやるのは、調整が難しいと感じました。しかし最近は世代交代もあり状況が変わってきました。

4.創業200年に向けて ~伝統を守るために、新たな挑戦を続ける老舗~

Q.  創業創業150周年、200年への展望や後継者へ伝えていきたいことなどはありますか?

 人形は斜陽産業だと思いますが、伝統産業としてこの先もずっと残していきたい。新たなチャレンジをしながら、人形専門店の老舗として引き継いでいきたいと思います。150周年の頃にはまだ私がいると思いますが、200周年は次の世代に託すことになります。変わっていきながらも、大事なものは受け継いで、新しい時代へとつないでいって欲しいと思います。

Q.  市駅周辺のまちづくりへの想いをお聞かせください。

 市駅周辺は、私が和歌山に来た18年前と比べると随分良くなっていると思っています。自分でもまちのためにできることはやっていきたいですが、少しずつでも良いまちに、よその県に誇れるようなまちになっていってほしいと思います。

Q. インタビューの読者に一言メッセージをお願いします

本町のお店で「をぐらや雑貨店」を始めました。かわいいものがいっぱい揃っていますので、ぜひ見に来てください。

左から森田亨弘さん(4代目)土井作子さん(3代目)森田充子さん(4代目)

🔶株式会社 をぐらや 所在地等
■所在地  〒640-8033 和歌山県和歌山市本町2-6
■お問合せ 073-423-0393
をぐらやホームページはこちらから

店舗外観

◆インタビュー日時:2025年6月2日
※本インタビューは和歌山大学観光学部のプロジェクト演習のプログラムと連携して実施しました。