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まちかど探訪:昭和初期のモダン駅舎の歴史をたどる 〜紀伊中ノ島駅〜

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まちかど探訪:昭和初期のモダン駅舎の歴史をたどる 〜紀伊中ノ島駅〜

 今回は市駅から東に少し足を伸ばし、和歌山市中之島地区に位置するJR紀伊中ノ島駅にスポットを当て、和歌山市内でも貴重な存在となった、昭和初期の駅舎建築の魅力と、この駅がたどった歴史についてお伝えします。南海本線と並行するJR阪和線の駅ですが、その歴史に着目すると、市駅とのつながりも見えてきます。

印象的な正面入口のデザイン

 紀伊中ノ島駅には、昭和10年(1935年)に竣工した戦前からの駅舎が残され、現在も利用されています。この駅舎の外観の大きな特徴は、正面の入口を取り巻く縦長窓に取り付けられた、菱形の木格子です。改札ホールの天井を高くとり、大きな窓を設けることで開放的な空間とし、さらに菱形の格子を窓全体に埋め込んだユニークなデザインの駅舎は、昭和初期の人々に新鮮な印象を与えたことでしょう。また、西側に隣接するピロティの柱も、3本の木製の柱を束ねてオーダー(ギリシア・ローマの時代から、西洋で格式の高い建築物に用いられてきた装飾的な柱)を構成するなど、さまざまなデザインの工夫が見られます。

 もう一つの見どころは、築堤上にある1番線ホーム(天王寺方面)の屋根です。古レールを湾曲させて波が連続するようなデザインは、こちらも非常にユニークなものです。古レールを転用したホーム屋根は各地に見られますが、実はこのレール、世界遺産にも登録されている官営八幡製鐵所(現・北九州市)の創業当初に製造された貴重なものであることが、平成20年(2008)に明らかになり、翌年には産業遺産学会の推奨産業遺産、登録鉄道文化財にも認定されています。なお、2番線ホームにも同様の屋根と柱がありましたが、こちらは老朽化により2023年頃に撤去されました。

紀伊中ノ島駅の駅舎

駅舎ピロティの柱

古レールを転用した1番線ホームの屋根

駅に残るもう一つのプラットホーム

 紀伊中ノ島駅は、昭和7年(1932)に天王寺駅と東和歌山駅(現・和歌山駅)を結ぶ阪和電気鉄道の「中之島(阪和中之島)」駅として開業しました。大阪と和歌山の間には既に南海鉄道(現・南海電鉄)が運行されていましたが、昭和5年(1930)年に阪和電鉄が東和歌山駅に乗り入れたことで、両社は大阪・和歌山間の旅客輸送をめぐってしのぎを削ることになります。その2年後に中之島にも駅が開設されました。

 ここでお気づきの方もいるかもしれませんが、冒頭で述べたように、駅舎は昭和10年に建てられたもので、駅の開業からさらに3年のタイムラグがあります。そしてこの駅舎は、阪和電鉄ではなく国鉄によって建てられたものなのです。阪和電鉄は昭和15年(1940)に南海鉄道に合併した後、戦時体制下の昭和19年(1944)に国有化されますが、駅舎の竣工時はまだ阪和電鉄の時代でした。なぜその頃に国鉄の駅舎が建てられたのでしょうか?

 その答えは、この駅舎に付属して地上部に残されているプラットホームの跡からうかがい知ることができます。これは、かつてここで阪和線と立体交差していた国鉄和歌山線のホームの跡です。この場所に最初に通っていたのは和歌山線の線路で、阪和電鉄はこれを乗り越えるために築堤を設け、その上に駅を開設しました。当初、和歌山線は阪和電鉄の線路の下を通過するだけでしたが、乗り換えができるよう、3年後に国鉄が設けたのがこの駅舎とホームだった、というわけです。昭和11年(1936)には阪和電鉄も「紀伊中ノ島」に駅名を統一して当初の駅舎を撤去し、国鉄の駅舎を共同使用するようになりました。

 和歌山線の紀伊中ノ島駅は昭和40年代まで存在しましたが、東和歌山駅が市駅と並ぶ和歌山市のターミナルとして発展する中で、昭和36年(1961)には和歌山線の田井ノ瀬駅と和歌山駅を直結する線路が開通し、次第にメインルートとなっていきました。昭和43年(1968)に東和歌山駅は「和歌山」駅に改称され(同時に旧和歌山駅は「紀和」駅に改称)、紀伊中ノ島駅を通るルートは昭和49年(1974)に廃止されました。残された駅舎はその後も阪和線の利用客のために使用され、現在に至ります。

紀伊中ノ島駅の和歌山線ホーム跡

昭和33年の紀伊中ノ島駅周辺の地形図(出典:国土地理院 2.5万分1地形図「和歌山」)

昭和48年の紀伊中ノ島駅周辺の地形図(出典:国土地理院 2.5万分1地形図「和歌山」)

和歌山市駅につながっていたかつての和歌山線

 和歌山の鉄道の歴史をたどると、県内初の鉄道は、紀の川筋に敷設された現在の和歌山線でした。このルートは、まず明治24年(1891)に大阪鉄道(現在のJR関西本線・桜井線・大阪環状線の一部を敷設)により王寺・高田間が、さらに明治29年(1896)には南和鉄道により高田・五条間が開業しました。その先の和歌山県側の区間は紀和鉄道により敷設が進められ、明治31年(1898)に最初の和歌山駅(現・紀和駅)が開業しました。

 一方で、大阪・和歌山間には、難波を起点とする南海鉄道が泉州側から線路を伸ばし、明治36年(1903)には和歌山市駅が開業します。同時に紀和鉄道(翌年に関西鉄道に合併)も市駅まで乗り入れ、市駅は2路線の発着駅となりました。なお関西鉄道は明治30年代に大阪鉄道など複数の鉄道会社を次々と合併し、大阪・奈良・和歌山・滋賀・三重を結ぶ広範な鉄道網を経営していましたが、明治40年(1907)に国有化されます。こうして和歌山線は県内最初の国鉄路線となりました。

その後、国鉄は大正13年(1924)に当時の和歌山駅(紀和駅)から分岐させる形で、箕島までの紀勢西線(現・JR紀勢本線/きのくに線)を開通させ、その際に東和歌山駅(現・JR和歌山駅)が開業しました。文字通り和歌山市の市街地の東側に開業した同駅は、昭和5年(1930)に阪和電鉄が乗り入れたことで、主要駅へと発展していきました。

南海と旅客輸送を争った阪和電鉄は、当時「省線」と呼ばれた国鉄との連絡を重視しました。阪和電鉄が発行した時刻表を見ると、紀伊中ノ島駅では和歌山線との接続が考慮され、急行や特急も停車させて利便性を高めていました。そして天王寺・東和歌山間を最速45分で結ぶ「超特急」も運行され(当時の国内最高速度の列車)、紀勢西線との接続を考慮したダイヤが組まれたほか、紀南方面への直通列車も運行されていたことが分かります。

阪和電鉄が発行した省線との連絡時刻表(和歌山大学観光学部永瀬研究室所蔵)

新興ターミナルとして東和歌山駅が発展する中でも、昭和40年代までの和歌山市駅は、南海に加え国鉄和歌山線と紀勢西線の列車も発着する市内最大のターミナルでした。昭和36年(1961)には田井ノ瀬駅と東和歌山駅を結ぶ短絡線も開通しますが、昭和42年(1967)の和歌山線の時刻表を見ると、依然として市駅や和歌山駅(紀和駅)を発着する列車が大半であり、短絡線を経由するのは紀勢本線に直通する急行列車と一部の普通列車に限られていたことが分かります。さらに当時は、市駅から和歌山線・関西本線を経由して東京駅に向かう寝台車(和歌山線内は普通列車に連結され、王寺・東京間は急行「大和」に連結)も運行されていました。

 しかし翌年には東和歌山駅が「和歌山」駅となり、同駅への短絡線が和歌山線のメインルートになる中で、紀和(旧・和歌山)・紀伊中ノ島・田井ノ瀬間のルートは支線扱いとなり、昭和49年に廃止されました。

 現在、市駅に乗り入れるJR線の列車は、和歌山駅との間を行き来するのみで、和歌山線に直通する列車はありません。かつて和歌山線と紀勢本線の分岐点であった「和歌山」駅の面影を伝えていた紀和駅の旧駅舎は、平成20年(2008)の高架化の際に取り壊されてしまいました。その紀和駅から、和歌山線の旧線路が続いていた東に向かって少し足を伸ばすと、紀伊中ノ島駅のレトロな駅舎が姿を現します。市駅に和歌山線の列車が発着していた時代に思いをはせながら、昭和初期の駅舎の佇まいに触れてみてはいかがでしょうか。

昭和42年の和歌山市周辺の路線図(出典:日本交通公社『国鉄監修・交通公社の時刻表』昭和42年10月号) ※「和歌山」駅は現・紀和駅、「東和歌山」駅は現・和歌山駅

昭和42年10月の和歌山線の時刻表の一部(出典:日本交通公社『国鉄監修・交通公社の時刻表』昭和42年10月号)

和歌山市駅を出発する国鉄のSL列車。架線の張られた手前の線路は南海本線(提供:EAST ST. COFFEE SPOT)

※市駅の歴史についてはこちらのコラムもご参照ください。【和歌山市駅120年物語】

貴重な駅舎の保存・活用に向けて

 和歌山市内に残る近代建築としても貴重な存在となった紀伊中ノ島駅の駅舎は、竣工してからまもなく90年を迎えます。しかしながら、老朽化により取り壊しが計画されており、地域で長らく親しまれた貴重な歴史的建造物が失われることになります。

 このような状況に対し、駅舎の価値を広く発信し、保存活用の可能性を探るため、和歌山市建築士会や和歌山市中之島連合自治会の関係者などの有志による団体「紀伊中ノ島倶楽部」が立ち上げられました。現在、駅舎の保存活用に関するアンケートが実施されています。

 (一社)市駅グリーングリーンプロジェクトとしても、市駅から和歌山線が発着していた当時の記憶を伝える近代化遺産として、また歴史を活かしたまちづくりの手がかりとなる貴重な地域資源として、その価値の大きさをあらためて認識し、ご協力することとなりました。

 本アンケートは和歌山市民に限らず、どなたでもご回答いただけます。ご関心のある方は以下のフォームよりご回答ください。

紀伊中ノ島駅舎の保存活用に関するアンケート

 また、4月29日(火・祝)には駅舎の見学会とアンケートの報告会も開催されます。詳細はチラシをご参照いただき、ご関心のある方はぜひご参加ください。

紀伊中ノ島駅 駅舎見学会&アンケート報告会(2025/04/29)チラシ

 

【参考文献】

・笠木和子(2022)『令和4年度和歌山県ヘリテージマネージャー養成講習会(第7期)修了レポート』

・中西重裕(2012)『わかやまワクワク探検隊 明治・大正・昭和たてもの物語』和歌山新報社

・和歌山県教育庁(2007)『和歌山県の近代化遺産』和歌山県教育庁

・和田康之(2005)『和歌山の汽車・電車 −撮り続けて半世紀−』トンボ出版

・竹田辰男(1989)『阪和電気鉄道史』鉄道資料保存会

※現在の紀伊中ノ島駅の写真の一部は(一社)和歌山県建築士会からご提供いただきました。