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百年老舗Vol.2 : 家具ノ谷沢 ~ 時代とともに、しなやかに変化をしてきた家具店 ~

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《百年老舗とは…》

   時代の流れの中でしなやかに変化を遂げながら、まちとともに歩み続ける老舗。和歌山市駅周辺にも、百年以上の永きに亘り、多くの苦難を乗り越えて事業を営んできた“老舗”と言われる商店があります。ふとしたまちかどに佇むそれぞれの商店に受け継がれてきた、老舗ならではの理念や工夫などの興味深いお話を、経営者の方々にインタビュー形式で伺いました。それらを“百年老舗”と銘打ち紹介していきます。

時代の移り変わりとともに、しなやかに変化を遂げた家具店 ~家具ノ谷沢~

   家具ノ谷沢は、1870(明治3)年に創業、150年に亘り事業を継続している老舗家具店です。創業当時は「指物師(家具職人)」を営み、1907(明治40)年に、現在の鷺ノ森西ノ丁に移転し「指常」(さしつね)という屋号で開業、1926(昭和元)年に、家具製造業「谷澤木工」を設立しています。1945(昭和20)年に戦災で、店舗等が焼失しましたが事業は継続し、1960(昭和35)年には製造業から小売業に転業しています。その後介護事業も展開し、時代とともに移り変わるお客様のご要望に応えられる店づくりを続けてこられました。
 
 家具ノ谷沢 5代目社長の谷澤博司さんに、永年お店を続けられて来られた経緯やエピソード、お店に対する想いなどのお話を伺いました。

谷澤博司さん 取材風景

1.家具ノ谷沢 商いの歴史

Q. 明治初頭創業とのことですが、お店ができた由来や家具製造に携わる経緯やきっかけについて、伝え聞かれていますか? 

 初代兼助が1870(明治3)年に現在の岩出市西国分から和歌山市本町6丁目に移転して「指物師」として創業したといわれています。1907(明治40)年に、2代目常太郎が現在の住所である鷺ノ森西ノ丁に移ったと伝え聞いています。 

Q. 古い道具や暖簾、また写真等昔を偲ぶことのできるものは、何か残されていますか? 

 戦前の家族写真があります。カンナや機械は、戦後のものは残っています。商品では明治から大正にかけて制作された古い「ハーモニカ箪笥」が残されています。嫁入り道具として作られた桐の箪笥ですが、引き出しを開け閉めするとハーモニカのような音が鳴ります。盗難防止のためだったとも言われていますが、引き出しが隙間なく作られているからこそ良い音が出る職人の技が光る逸品です。4代目の父が作った嫁入り箪笥も残っています。箪笥に鍵がついていますが、その鍵穴を隠す細工が施されています。

谷澤家集合写真 昭和17年鷺森別院裏門前撮影

古いカンナ等家具作りの道具

ハーモニカ箪笥 (明治~大正時代制作)

4 代目が制作した婚礼箪笥(昭和31年制作

 

Q. 1960(昭和35)年に家具の製造から販売へ完全に移行するという選択に至った理由やきっかけは何ですか? 
 
 4代目になる父淳司が作業中に指に大怪我をして家具を製造することができなくなってしまい、また家具が良く売れる時代で、販売に専念する方が良いと判断して完全に小売業に転業することとなりました。 

Q. 2000(平成12)年に介護サービス部門を開設されていますが、介護事業に取り組まれるようになったきっかけや事業の特徴は?  
  
 介護の勉強をしていた知人に介護用品のレンタル事業を進めてもらったことがきっかけです。介護用品は医療系の分野で取り扱いが開始されたために、当時家具店で介護用品レンタルサービスに参入するところは全国的に見ても無く、いち早く始めました。わが社の特徴は、家具を買っていただいたお客様のお宅を訪れることで、間取りや好み、価値観が分かっていることから、利用者に合った商品を提供することができることだと思っています。

2.老舗に対する思い

Q. 明治初頭から事業を継続されていらっしゃいますが、「老舗」と言われることについてどのように感じていらっしゃいますか? 周りからの期待やプレッシャーもあるのではないかと思いますが、それらについてはどのように感じられてきましたか。 

 特にプレッシャーなど何も感じていないですね。代が変わるごとに新しいことに挑戦してきた店なので、老舗の昔からのしきたりを守るという感覚はありません。ただ、お客様の信頼を守るためには続けることがとても大事なので、「細く長く続ける」ということは意識しています。 
 
Q. 「長く続ける」にあたって努力されたことや苦労されたことはありますか?
 
 先代が築いてくれた信用の基盤はあったので、そこに自分がやりたいことをどのように積み上げていくかを大切にしてきました。時代が変わるとニーズも変わります。売りたいものや守りたいものが1つだけの専門店は東京のような都会ではやっていけるかもしれませんが、地方ではそうはいきません。守りに入らず、時代に合わせた変化をしていかなくてはこの地域での商売は上手くいかないでしょう。
 
Q. 100年以上に渡り家具店を続けてこられた理由は、「時代に合わせて変化を続けてきた」ということでしょうか? 

 そうですね。しかし、新たな事業に参入したとしても家具には手を抜くことはありません。今も足を運んでくださるお客様を大切にして、信頼を裏切ることのないように、本業はあくまでも「家具店」として、新しい事業に並行して取り組んできました。 

シャッターに残る「指常」のロゴ

3.商いの原点、貫いてきたこだわりとチャレンジ

Q. お店の理念やコンセプト、仕事をする上でのこだわりや心掛けていることは何ですか? 

 品質の良い商品の提供にはこだわっていますが、その商品についての情報をしっかりと把握し、お客様には説明をきちんとするようにしています。そうすることで家具の品質の高さや、良い家具の魅力をお客様に知ってもらうことができるのではないかと考えています。 

Q. 扱う商品に対するこだわりはありますか、仕入先はどのようにして決めているのですか? 

 お客様のために品質の良い国産家具を取り扱うことにこだわってきました。しかし、最近は良い国産メーカーが少なくなってしまい、手に入れるのが難しくなっています。国産家具にはそれぞれ産地があり、主に静岡や広島、徳島、高松、九州ですね。特に広島県府中市は婚礼家具の名産地です。最近では九州で展示会の開催が多く、そこで仕入れることが多いですね。 コロナの影響で海外工場が休止してることもあり家具全体に値段が上がっていますが、何とか頑張って良い品質の商品を仕入れています。

Q. これまでお仕事をされてきた中で、印象に残っている出来事があれば教えてください。また、特に苦労されたことは何ですか? 
   
 30年ほど前になりますが、販売できるか不安だった程の高級な婚礼家具が仕入れてすぐに売れ、次々と10セット程売れたことです。バブルより前の時期だったので驚きました。お買い上げいただいたほとんどがお得意様であったことも、印象深かったですね。
 苦労したことは、忘れるようにしているのであまり覚えていませんが、バブル崩壊の際、金融機関の破綻の影響で、受けていた融資の返済を一度に要求されたことがありました。経営の努力で切り抜けることができましたが、その時は大変でした。 

Q. 長年商売を続けてこられたなかで、時代が変わったと思うことは何ですか。 

   周りにあった店が少なくなっていることです。昔は活気のある商店街で、和歌山市駅からぶらくり丁への通り道だったので、店に寄ってくれるお客様が多かったのですが、現在は人通りが少なくなってしまいました。そのため、お客様が店に来たいと思うような工夫をする必要が出てきました。
 家具の販売においての一番大きな転機は、阪神淡路大震災でした。家具が倒れてけがをした人がいたというマイナスイメージがついてしまったため家具の需要が急激に減少したと感じました。また、時代の流れとしても婚礼家具を買うことが減ったことや、親から子に家具の良さを伝える風習が無くなってきていること。そして、プラスチック製の収納・低価格家具の普及や、クローゼットが備わった住宅の登場など様々な時代の変化が起こっており、それによって家具の良し悪しを分かる人が少なくなっているように感じています。

Q. 新規の顧客開拓のために何か工夫されていることや考えておられること、また、新たに始める予定の事業などはありますか。 
 
 今年の秋に、初めて店舗では無く倉庫を活用して「倉庫市」というセールを開催しました。行う際に新聞の折込広告を出したところ、新規のお客様も多く来られ、改めて家具販売の可能性を感じました。また、そこで 子供用のウッドスツールを販売したところ思った以上に評判が良く、店舗でも店先で売り始めました。そういった木製の雑貨などにも取り組んでいきたい。最近では、ゲームチェアの販売も開始しています。この20年は、介護のサービスに力を入れていましたが、改めて家具にも更に力を入れていこうと考えています。

倉庫市のチラシ

子供用のウッドスツール

4.家業を継ぐことへの思い

Q. 代々家業として受け継いできたお店ですが、ご自身が継ぐ際のきっかけや迷いはありましたか、もし家業が家具店でなければどんな職業についていたと思いますか? 

 小さな頃から家業の手伝いをしていたので、継ぐのが当然だと考えていました。家業を継ぐことを迷ったことはなく、むしろ大学に行かずに早く継ぎたいと思っていました。他の職業に就くことは考えたことがないのでわかりませんが、歌手とかをやってみても面白かったかもしれませんね。 
 
Q. 先代から店を引き継いだ際の心境や意識したこと、努力をしたことはどのようなものでしたか? 

 特別に意識したことや勉強したことは特にないですね。仕事に関しては親の背中を見て、現場で手伝うことで学びました。店を継いでからは経営のことを学ぶために研修会に出たりはしました。 
  
Q. 新入社員を採用するとしたら、どのような人材を求めていますか? 

 社員を採用するなら、何にでも対応できる人が望ましいです。今働いてもらっている介護部門の職員にも家具の勉強をしてもらっています。両方のことが解かることにより、お客様へのサービスが充実すると思います。強いて何かに特出しているとすれば、ネット販売を検討しているのでインターネットに強い人がいいですね。 
 
Q. 未来の後継者に伝えたい老舗を守るための心構えや大切にされていることはありますか? 

「人に対して真面目に正直に接するように」と言うことですね。あとは相手の立場になって何を求めているのかを考えることも大事です。商品の説明やアフターサービスはしっかりできるようにしてもらいたいと思います。 

左から博司さん (5代目)、淳司さん (4代目)、 輝也さん(6代目)

5.創業200年に向けて~未来に繋ぐお店への想い、まちへの想い

Q. 100年以上に渡り、愛されてきた家具ノ谷沢さんですが、創業200年に向けた展望などはありますか。 
  
 この先もずっと家具販売だけ、介護サービスだけ、では20年後には続かないだろう。老舗と言われても守りに入ってはダメ、時代が変わったらお店も変えていく、これからも何か新しいものを始めないといけないとは考えています。 
 
Q. 2020年に和歌山市駅に「キーノ和歌山」がオープンしましたが、お店に何か影響はありましたか?  

 キーノ和歌山に訪れた方からの直接の売り上げはありませんが、日頃目にしないようなお客様が店に立ち寄ってくれるようにはなりました。

Q. 谷澤さんは市駅GGPの事務局長もされていますが、まちづくりに関心を持たれたきっかけは何だったのでしょうか? 

 20代の頃に入った青年会議所での活動がきっかけです。青年会議所の活動でまちづくりに関わる中で、「自分は何をすべきか」「自分には何ができるか」ということを考えるようになりました。そうした考えの中で立ち上げたのが、市駅GGPです。 

Q. 和歌山市駅周辺のまちが今後どのように変わっていってほしいと考えておられますか。
 
 個々の店舗が増えていってほしい。市駅を訪れた方々の受け皿として、商店街にも活気が出てほしい。多くの人々が訪れたくなる地域づくりの為に、まちづくり活動にも取り組んでいます。 
 
Q. 最後に、インタビューを読む方へのメッセージがあればお願いします。 

 家具や介護のことなら何でもご相談ください。ぜひ、店にもお気軽にいらしてください。 

🔶 株式会社 家具ノ谷沢 所在地等
■ 所 在 地  〒640-8056 和歌山市鷺ノ森西ノ丁25番地
■ お問合せ  073-422-2939
家具ノ谷沢ホームページはこちらから

店舗外観

◆インタビュー日時:2021年11月2日

◆聞き手:廣野碧唯[和歌山大学システム工学部3年]、樫本凱斗[和歌山大学経済学部2年]、稲垣ありさ[和歌山大学観光学部2年]、長谷川珠希[同前]、福田栞和[同前]、松村佳乃[同前]、平井千惠[(一社)市駅グリーングリーンプロジェクト]、永瀬節治[(一社)市駅グリーングリーンプロジェクト/和歌山大学観光学部准教授]

※本インタビューは和歌山大学わかやま未来学副専攻のプログラムと連携して実施しました。