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まちかど探訪 : 街中の小さなお社 ~朝椋神社~

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市駅周辺の歴史、文化、社寺仏閣などの見どころスポットを探訪します。

 今回探訪する朝椋神社(あさくらじんじゃ)は、南海和歌山市駅から東へ徒歩5分ほど行ったところにある鷺ノ森明神丁にある神社です。
祭神を大国主命としており、福の神の大黒様として、又大きな功徳のある神様として、和歌山市近郊の人々から厚く信仰されてきました。

朝椋神社の正面鳥居

朝椋神社の本殿

朝椋神社宮司の小島渉さんにお話しを伺いました

Q. 朝椋神社の由来を教えてください。

 古い由緒は不詳ですが、平安時代中期の『延喜式』神名帳には紀伊国名草郡に「朝椋神社」と記載され、式内社※に列しています。また『紀伊国神名帳』には「従四位上 朝椋神」と記載されています。

 明治時代の『和歌山県神社明細帳』によれば、寛弘2年(1005年)5月に摂社修葺から永正年間(1504年-1521年)の間に数度の造営があり、天正年間(1585年)の兵火で社領を失った。文禄5年(1596年)に和歌山城代・桑山重晴が再建したが、万治2年(1659年)に焼失、翌年紀州徳川家により復旧されたとあります。

 享保8年(1723年)の「鷺森神社記」によると、式内社・朝椋神社は所在不明となっていたが、延宝年間(1673年-1681年)に和歌山藩の儒者・李梅渓がそれまで「顕国社」と称した当社を式内社に比定し、社名を「朝椋神社」に改称したと書かれています。

 明治に入り、近代社格制度では村社に列して、社殿は第二次世界大戦の和歌山大空襲で焼失し、昭和35年に再建されました。地域の守り神である氏神さまとして、今も私たちの生活を守ってくださいます。

※ 平安中期にまとめられた格式(律令の施行細則)の『延喜式』において、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である「延喜式神名帳」に記載された神社などを「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。

Q. お祀りされているご祭神、大国主命とはどういう神様ですか?

 大国主大神様は、広く“だいこくさま”として慕われ、日本全国多くの地域でおまつりされています。その御神名の一つに「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」があります。それは遠く神代の昔、私たちの遠い祖先たちと、喜びや悲しみを共にしながら、国土を開拓された事に由来しており、これが“国づくり”の大業です。

 国づくりの最中、農耕・漁業・殖産から医薬の道まで、私たちが生きてゆく上で必要な様々な知恵を授けられ、多くの救いを与えて下さいました。今では広く“えんむすび”の神として人々に慕われていらっしゃいますが、この“縁”は男女の縁だけではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄えていくための貴い結びつきです。そして、日本の悠久なる歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守られ、目に見えないご縁を結んで下さっているのが大国主大神様なのです。

Q. 神社の祭事の中で、参拝者が多く来られるのはどういうお祭りですか、お神輿が使われるお祭りはありますか?

  1年を通じて色々と祭事は行われますが、特に参拝者が多く来られるのは、正月元日より3日間の初詣には多くの方が参拝に来られ、先着700名の方に大黒像を授与しています。2月3日は節分厄除祈願祭で、病気や災害をもたらす悪いもの(鬼)を追い払い、良いもの(福)を呼び込むために、節分の豆やお菓子まきをしており、多くの方が参拝されています。

 6月30日には大祓(おおはらえ)があります。「ヒトガタ」に願事、氏名を書き、神前に立てた茅の輪(ちのわ)をくぐり、自らの心身の穢れや災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めています。

大祓の茅の輪くぐりの輪

 7月14、15日には「夏祭り」を開催しています。ご家庭の幸福と健康を祈りするお祭りで「子ども神輿」が登場し、神社の周りを歩きます。境内にはお子様向けの屋台も出て、近隣のご家族連れで賑わいます。

朝椋神社の神輿

夏祭りの子ども神輿の様子

 

Q. 御朱印はいただけますか?

 社務所に寄っていただければ、神社参拝をして頂いた証として差し上げています。 

朝椋神社の御朱印

Q. 境内に、他にも二つの社がありますが、どのようなご祭神ですか、なぜ同じ境内で祀られているのですか?

 境内にある他の2つの社は、伊勢神宮でも祀られている天照大御神・豊受大御神を祭神とする神明神社と子育ての神様である水分神を祀っている子守勝手社です。
 なぜ3つの社が同じ境内にあるかというと、明治時代に神社の合併するようにと政府からの指示がありました。神明神社はかつて本町二丁目のフォルテワジマのあたりにありましたが、合併して朝椋神社の境内に置かれることとなりました。

神明神社

子守勝神社

Q. 境内には、狛犬の他に「こまねずみ」がみられるそうですが、どのよう謂れがありますか?

 狛犬には邪気を祓はらう意味があるといわれており、神社によっては狛犬ではなく、狐や牛などの場合もあります。狐は稲荷神社、牛は天満宮に見られ、共にお祀りされている神様の神使しんし(お使い)であるとされています。

 「古事記」の神話の中で、大国主命がスサノオに命じられた試練の中に、野原で火攻めにあう場面があったが、その時ネズミが現れて逃げ道を教えてくれたので助かった。それで、大国主命の神使いは「ネズミ」になったと云う。このような謂れがあり、本殿の中の祭壇の手前に置いています。

本殿の祭壇手前に置かれたこまねずみ

こまねずみ

Q. 境内にあった「社霊 の松」とは、どのような松ですか?

 『紀伊續風土記』に、往古境内に「社霊の松」と称する松の大樹あり、寛正6(1794)年本居宣長の献詠歌に「廣まへに緑も深く枝たれてよにめつらしき神かきの松」とよまれ、奉納されていました。残念ながら第二次世界大戦の和歌山大空襲で、松の大樹は焼失してしまいましたが、境内では豊かな自然を味わうこともできます。大きなクスノキや、春には桜の木が満開になり、梅雨の時期には紫陽花の花が出迎えてくれます。

自然豊かな境内

境内の紫陽花

朝椋神社のことを小島宮司から詳しくお伺いすることができ、地域に根付く神社の魅力を改めて感じました。

1000年以上も前から、この土地の氏神さまとして奉られてきた朝椋神社。季節の自然を楽しみながら、お参りをしてはいかがでしょうか。

朝椋神社所在地等

■ 所在地  〒640-8059 和歌山市鷺ノ森明神丁22番地
■ お問合せ 073-423-9662
■ 朝椋神社ホームページはこちらから