《百年老舗とは…》
時代の流れの中でしなやかに変化を遂げながら、まちとともに歩み続ける老舗。和歌山市駅周辺にも、百年以上の永きに亘り、多くの苦難を乗り越えて事業を営んできた“老舗”と言われる商店があります。ふとしたまちかどに佇むそれぞれの商店に受け継がれてきた、老舗ならではの理念や工夫などの興味深いお話を、経営者の方々にインタビュー形式で伺いました。それらを“百年老舗”と銘打ち紹介していきます。
伝統産業とともに、進化を続ける老舗呉服店 ~べにや呉服店~
べにや呉服店は1878(明治11)年に神戸元町にて「紀の国屋本店」として創業し、1946(昭和21)年に和歌山に移転して再出発する際に、現在の店名となりました。1995(平成7)年に4代目の現店主が受け継いでからは、着物離れも進む中、現代のお客様の声に応える革新的な取り組みを、5代目若女将の娘さんとともに進めています。
べにや呉服店4代目店主山下晃広さんと5代目若女将の真友梨さんに、永年お店を続けられて来られた経緯やエピソード、お店に対する思いなどのお話を伺いました。
※真友梨さんの主な発言には、冒頭に【真】と表記しています。
1.べにや呉服店 商いの歴史
Q. 店の由来や呉服販売に携わるきっかけについて、伝え聞かれていますか?
呉服を扱うきっかけについては100年以上前のことなのではっきりわかりませんが、1878(明治11) 年に曽祖父にあたる初代熊五郎が、神戸元町で「紀の国屋本店」という名前で呉服店をはじめたと聞いています。当時は普段着であった綿やウールの着物や傘なども取り扱っていました。建物は洋風で、店内はお座敷ではなくテーブルでした。
Q. 1946(昭和21)年になぜ神戸から和歌山に移転されたのですか?
第二次世界大戦の時に、二代目正成の妻の出身地であった和歌山へ疎開してきました。戦後の1946(昭和21)年に、知人から現在の店の土地を譲ってもらったことをきっかけに、「べにや呉服店」と改名して着物の販売を再開しました。
Q. 1995(平成7)年にお店を引き継がれてから、新たにどのようなことに取り組まれましたか?
1995(平成7)年は、三代目の父公平が亡くなり、私がお店を継いだ年ですが、着物が嫁入り道具ではなくなるなど時代の変化を感じていました。多くの人々、特に若者が着物をはじめとした日本の伝統文化に親しむ機会を増やしたいと考え、着付けや茶道教室などを始め、着物を着て参加する「京都へ出かける会」などの趣味の集まりを企画しました。また、ホームページをいち早く開設したり、着物のお直しをしたり、着物の端切れや端切れ小物を扱ったこともありましたが、着物を多くの方に知っていただくための取り組みを色々と試みました。
2.老舗に対する思い
Q. 「老舗」と言われることをどのように感じておられますか?
現代は着物を着る機会が減り、機織りや染め職人など京都の着物の作り手たちが次々と廃業しています。このままでは着物に関する日本の伝統文化が無くなってしまうという危機感があり、日本の伝統文化や技術を残していくことが、長年着物に関わってきた老舗の使命だと思っています。そのために、若い世代にも着物や伝統文化を伝えていく責任があると考えています。
Q. 100年以上にわたりお店が続いてきた理由をどのようにお考えですか?
1995(平成7)年から時代の変化に合わせて、新しいアイデアを考え様々な取り組みに挑戦してきたことも大きいと思います。人々が着物を着るきっかけをいかに作るかを常に考えてきました。趣味の会のイベントが人気となり、参加者の中には自ら好んで着物を着て出かける人も増えました。お店だけでなく日本の伝統文化を守る一助となることができたと感じています。
【真】「老舗の呉服店」への敷居の高さを感じずに、若い人にも着物に親しんでほしいと、学校の授業やイベントなどに浴衣を提供して、お手伝いもしています。最近は茶道教室など様々なイベントにも若い方や海外の方が来られるようになりました。
3.商いの原点、伝統を守るために取り組む革新とは
Q. お店の理念やコンセプト、仕事に対するこだわりや心掛けていることは何ですか?
お客様の信頼できる店であり続けること、そして末長いお付き合いをすることを大切にしています。着物の良し悪しは、素人のお客様には分かりにくいため、我々が悪いものを通さない関所のような役割を担っています。仕入は流通業者を通さず、京都の信頼できる生産者のもとへ直接出向いています。お客様のニーズを創り手に直接伝えることもでき、適正な価格で満足度の高い商品提供を実現しています。
【真】また、人々のライフスタイルの中に着物を取り入れることで、多忙な日常の中に癒しのひと時を作り出し、着物に親しむ人を増やしていくことを目指して仕事をしています。
Q. 洋服とは違う和服の美点をどのようにお考えですか?
着物は着るだけで体に軸が通り、凛とした雰囲気が醸し出されます。自然と美しい姿勢を保ち、所作や行儀作法も整う効果があり、自然と自信が満ちて顔つきが明るく、美しくなられる方も多いです。
【真】また、和服はドレスと比べても、際立つ華やかさがあります。生地を作る人、デザインを描く人など、それぞれの工程が分業で行われており、研ぎ澄まされた伝統的な職人の技術が詰まった芸術品であると感じます。日本の伝統文化継承のために、着物を創る技術を繋げていくことが重要です。
Q. 着物を着る人が減少する中で、近年の呉服業界はどう変化していますか?
着物を着る人が少なくなったことで、創り手の後継ぎがなく専門店や職人が減少しつつあり、危機感を覚えています。新型コロナウイルスの影響もあり、最高の技術を持つ職人から廃業しているという現状もあります。現在はお茶会や七五三、成人式などの際に伝統的な絹の着物を購入される方が多く、一方で、安く手軽に購入できるポリエステルや綿の着物の販売も増えています。古い着物をファッションに取り入れる流行もあり、若い人が着物に親しむ機会も増えているようにも感じています。
Q. 新規顧客の獲得のために工夫されていることはありますか?
お茶会や教室等でのお客様との交流に加え、着物の相談を何でもお受けするようにしたところ、相談されるお客様が増えました。また、多くの方に着物に親しんでもらえるようSNSでも積極的に情報発信をしています。ホームページを見て来られる新規のお客様もおられます。
【真】2018(平成30)年に「121E(ジュウニヒトエ)」というブランドを立ち上げました。着物の「値段が高い」「手入れが大変」「着ていく場所がない」というイメージを払拭し、普段でも着られる個性的な綿の着物を販売しています。綿は手入れが楽な上に値段も手頃で、若者から中高年の方も購入されます。また、簡単に着られる洋服のような和服を目指して「NOI」というブランドも立ち上げ、クラウドファンディングを実施しました。多くの方に着物の新しい楽しみ方を提供したい、そしてこのブランドを入り口に伝統的な着物に親しみを持っていただきたいと考えています。
Q. お仕事をされている中で印象に残っているエピソードはありますか?
お客様と長いお付き合いをする中で、世代をこえて一つの着物が受け継がれている場面に立ち会えたときには、お客様の思い出に関わることができたことに感動し、心が温かくなります。成人式の後にお礼のお手紙などが届くこともあり、この仕事をしていて良かったと思える瞬間です。
4. 家業を継ぐことへの思い
Q. 家業を継ぐことを迷われたり、プレッシャーに感じたりされませんでしたか?
当時は家業を継ぐことが当たり前の時代でしたので、迷いはありませんでした。生まれた時から着物に囲まれて生活しており、毎日着物を着る祖母の姿がとてもかっこいいと感じていました。着物とそれを着た人の凛とした美しさに魅せられて、この仕事に就きたいと考えていました。
Q. 引き継いでから現在まで大切にしてきた先代の教えなどはありますか?
創り手さんを大切にすることと、お客様へのサービスを丁寧にすることです。先代と働いていた当時は、別々のお客様を担当していたため、展示会くらいでしか同じ場所で仕事をすることはなかったのですが、そのような機会に先代が創り手の方とお客様を大切にしていたことを感じていました。
Q. 着物に関する知識はどのようにして身につけられたのですか?
京都の取引先の問屋での修行や、展示会に派遣された多くのメーカーの方から知識や品定めの方法などを学びました。当時は、展示会が業者の交流、情報交換の場であり、知識を蓄える場でした。現代はそれぞれの店の売り方を自店で学び、修行へ出ることも少なくなりました。
Q. 5代目に伝えたい老舗を守るための心構えや大切にしてほしいことは何ですか?
伝統技術を持つ腕の良い職人さんを残していくためにも、職人さんを大切にして欲しいです。そして若い方が着物に親しみを持つきっかけになるような活動もたくさんして欲しいと思います。このようなことを通して、日本の大切な伝統文化を守っていって欲しいと思っています。
Q. 新入社員を採用されるとしたら、どのような人材を求めていますか?
着物が好きで、日本の伝統文化を後世に残していきたいという強い思いを持っている人がいいですね。新たな視点でこれまでにない発想や提案を持ってきたり、新しい風を吹かせてほしいです。
【真】実際、新ブランドには、別の仕事をしながら副業という形でともに活動してくれている仲間もいて、新鮮な発想をもらうことができ、とても助かっています。
5.創業200年に向けて ~伝統を繋ぐために挑戦し続ける老舗~
Q. 創業150周年に向けた取り組み、また創業200年への展望などはありますか?
5年後の創業150周年には新型コロナウイルスが収束し、着物でお茶会や食事会を自由に楽しむことができるようになっていてほしいです。また老舗呉服店として、伝統文化をどう残していくのかを考えて、取り組んでいくことの積み重ねが重要なのではないかと考えています。
【真】これからも時代の変化に合わせた挑戦を続けますが、基本軸は「べにや呉服店」であり、伝統的な着物が中心になります。さらに、海外進出も視野に、発信力の強化も進めます。また、着物の悩みを抱える多くの方が気軽に相談できるように窓口も工夫したいと考えています。
Q. 長年お店を続ける中で、まちが変わったと思うことはありますか?「キーノ和歌山」のオープンで、お店に影響はありましたか?
市駅前は、昔は賑やかで、ぶらくり丁までの通り道として人通りも多かったのですが、今では歩く人も少なくなって多くの店が閉店し、駐車場と住宅ばかりの寂し気な印象です。キーノ和歌山は賑わっていますが、周辺には人が来ていない様子です。当店には、車で直接来られるお客様がほとんどで、キーノの影響は特にありません。
【真】市駅周辺は賑やかになってほしいですが、何事も他力本願では変わることはないと思っています。新しいモノや人に頼るのではなく、それぞれのお店が繁盛すれば、人々が集い、おのずとまち全体が賑やかになるのではないかと考えています。べにや呉服店にも、お客様が大勢来られて、賑やかにできるように、多くの人に愛されるお店にすることを目指していきたいと考えています。
Q. 若女将は、市駅GGPのまちづくりに参画されていますが、まちづくりへの想いをお聞かせください。
【真】生まれ育った和歌山への強い思いで仕事をしている方々の姿を目の当たりにして、自分も故郷に恩返しがしたいと思いました。私もこの地域の人々の支えを受けながら商売を続けています。この地域で商売をさせていただいている身として、何かできることはないかと考えてまちづくりの活動にも参画しています。
Q. インタビューの読者に一言メッセージをお願いします。
着物に関するご相談があれば、いつでもお気軽にお越しください。
🔶べにや呉服店 所在地等
■所在地 〒640-8211 和歌山市西布経丁1-11
■お問合せ 073-423-0654
■べにや呉服店ホームページはこちらから
◆インタビュー日時:2021年12月8日
◆聞き手:稲垣ありさ[和歌山大学観光学部2年]、福田栞和[同前]、平井千惠[(一社)市駅グリーングリーンプロジェクト]、永瀬節治[(一社)市駅グリーングリーンプロジェクト/和歌山大学観光学部准教授]
※本インタビューは和歌山大学わかやま未来学副専攻のプログラムと連携して実施しました。