《百年老舗とは…》
時代の流れの中でしなやかに変化を遂げながら、まちとともに歩み続ける老舗。和歌山市駅周辺にも、百年以上の永きに亘り、多くの苦難を乗り越えて事業を営んできた“老舗”と言われる商店があります。ふとしたまちかどに佇むそれぞれの商店に受け継がれてきた、老舗ならではの理念や工夫などの興味深いお話を、経営者の方々にインタビュー形式で伺いました。それらを“百年老舗”と銘打ち紹介していきます。
一粒の種の重みを心に刻み、お客様に寄り添い続ける「一粒萬倍」~山本種苗園~
120年以上の歴史を持つ山本種苗園は、1898(明治31)年に本願寺鷺森別院の門前(西鍛冶屋町)にて創業、1945(昭和20)年に戦災で店舗等が焼失しましたが、現所在地の元博労町にて店舗を再建し、種苗から農業用資材、施設園芸までを扱う事業者として、和歌山から全国へと農作に関わる事業を大きく展開されています。
山本種苗園5代目社長の山本康裕さんと、奥様で取締役の山本淳子さんに、永年お店を続けて来られた経緯やエピソード、お店に対する想いなどのお話を伺いました。
1.山本種苗園 商いの歴史
Q.お店の由来や種苗販売に携わるきっかけなど、お店の歴史について伝え聞かれていますか?
1898(明治31)年に、本願寺鷺森別院の門前で屏風販売を商いとしていた初代山本徳之助が、寺に多くの農家の方が参拝に来られ、そこで種の物々交換をされているのを見て、これは商売になるのではないかと考えて店を始めたと聞いています。最初は小豆を扱っていたという話も伝わっています。
1945(昭和20)年に戦災で鷺森の店は消失して、2代目の山本周が亡くなりました。戦後現在の場所に店を再建して、しばらく周の妻のカツが切り盛りしていましたが、1952(昭和27)年に私の祖父にあたる山本博行が3代目の店主となり、株式会社山本種苗園を設立しました。祖父は和歌山大根や紀州うすいえんどうなど、和歌山の地場野菜の採種にも力を入れました。

今も掲げられている 株式会社設立当時の看板

3代目の頃の和歌山大根の原種選別風景
2004(平成16)年に、4代目にあたる私の父・山本正が社長に就任してからは、ハウス施工をはじめとした鉄骨温室等の設計・施工・管理事業に取り組み事業を拡大しました。
2016(平成28)年に、私(康裕さん)が社長に就任しました。2020(令和2)年には、和歌山市北島に資材倉庫を新設して、資材の管理を一元化しました。現在は、種苗と農業用資材販売、ハウス・空調・灌水などの設計・施工・管理事業とともに、花鉢・観葉植物や園芸グッズの販売、寄せ植え作成やガーデニング教室の開催、レンタルグリーン、花育・食育活動まで、幅広く事業を展開しています。
Q.何かお店に関する古いものが残されていますか?
戦災に遭ったため古いもので残っているものは少ないのですが、昔使っていた種袋や、種を計る樽や升、じょうごなどが残っています。種袋は2代目山本周の頃のもので、屋号の「山周」のロゴが入っています。

昔の種を計る升と「山周」ロゴ入種袋

昔のじょうごや樽
2.老舗に対する思い
Q.明治から事業を継続されている老舗として感じておられること、老舗を守るためのご苦労などをお聞かせください。
先代、先々代からは「ぶれないこと」が大事だと言われて来ました。うちの商売はタネを売ったら終わりますが、買う農家さんは、種まきから収穫まで、天候や災害等に振り回されながら、休みなく育てていきます。農家さんがリスクを背負いながら作物を育てていますので、売る方もいい加減なことはできません。農薬が種に合わなかったり、法律に引っかかったりしたら大変なことになります。時間をかけて農家さんとお話をして、農家さん毎に最適なものを探します。
営業もお客様に信用していただけるように、真面目にコツコツと商売しています。祖父の代からのお付き合いということもありますし、半年後の収穫時にクレームが入ったりもします。けっして押し売りはしないようにして、ぶれずにお客様に寄り添って商売をするようにしています。
店を守るための苦労と言えば、これまでも楽な時代は無く苦労続きと言えますが、先代からは、40年くらい前の高度成長期にはビニールハウスの設置の仕事が相次ぎ、日中働いて、夜中も業者から港に資材が届くので、搬入してそのまま作業するなど、寝ずに働いていた時代もあったと聞いています。
直近だと、関空の橋にタンカーが突っ込んだ2018年の台風の時には、多くの農家さんのハウスが被災し、復旧工事の依頼が殺到しました。種まきの時期は決まっているため工事を急ぐ必要がありましたが、ハウスメーカーも被災していたため、当社で何とかしないといけませんでした。しかし職人さんも不足している中で、復旧する順序も難しく大変な状況でした。職人だけでなく社員も総出で、並行して工事する等色々工夫して何とか乗り越えました。
Q.家業を継ぐことへの迷いや、プレッシャーに感じたりされませんでしたか?
私は、高校生の頃までは家業を継ぎたくありませんでした。しかし、大学生の時に大規模なハウスが次々と建ち、現場に手伝いに行くようになり考えが変わりました。真夏の炎天下に一日中外の作業で、20代の自分でも辛いのに50代の父親が頑張っている姿を見て、お金を稼ぐのは大変だという思いとともに、継がないと今いるお客さんが困ることになる、継がないといけないと思い始めました。
大学は、たまたま近畿大学農学部に進学しましたが、家業を継ぐことになり結果的に良かったと思います。大学を出てから1年間は、この業界では種苗店からメーカーに修行に行く慣習があったので、横浜の「株式会社サカタのタネ」に行き、静岡県の掛川農場で働きました。23歳の春に戻ってきて、そこから今まで山本種苗園で働いています。
社長を継ぐ時は、2日前に「明後日から社長だから」と先代に言われました。母親も事前に知らなかったようで、突然言われて驚きました。
【淳子さん】 私は県外からこちらに来ましたが、実家は野菜や果物の卸売りをしていて作物の栽培には元々興味がありましたが、こちらの店で働くようになり、本当に素晴らしい仕事だと思って続けてきました。代替わりの話は、業界内では90代でまだ社長をされているところもある中で、早めの引き継ぎだったので私も驚きました。ある程度若い時から取引先と人間関係を作っていく方が良いとの考えだったのではないかと思いますが、今から思えば早めに引き継いでもらって良かったと思います。
3.商いの原点、お客さまに寄り添い信頼をつなぐ
Q. お店の理念やコンセプト、仕事をする上でのこだわりはありますか?
当社の座右の銘として「一粒萬倍」を掲げています。一粒の種から萬倍へと繁栄をしていく様子を例えた言葉ですが、種は生き物で、生きている種を扱うことは生半可な姿勢では決して続かない商売であり、その大切な一粒、つまり根本を大切にするという姿勢も持ち続けていかなければと考えます。また、「信頼を背負う一粒の種の重み」と「一人一人のお客様のお声が大切である」ことも示していると考えます。そして、そのお声が満足してくださる喜びの声でありますように努めています。

「一粒萬倍」の掛け軸
Q. お仕事をする中での工夫や、AIの活用など新しい農業への対応についてお聞かせください。
国はAI化による次世代型農業を推進しており、技術は日々進化しています。スマホを見ながら自動でハウスを管理する時代になりました。情報収集は常に行なっていますが、新しい技術をおすすめする農家さんは選ぶようにしています。後継ぎや新規参入の若い農家さんは、AI化に積極的ですが、高齢の方には昔ながらの方法の方が良いこともあります。また、作物によっては次世代型が合わないものもあります。トマトやイチゴ等、葉っぱから実がつくものは、導入しやすいですが、大根やにんじん等土の中で育つものは導入しづらい。お客さんはどちらのスタイル、アイテムを希望するのか理解することが重要です。
また、AI導入は初期投資が大きくなるため、投資分を売り上げで回収できなかったら、農家さんが潰れることになります。それだけは決して無いようにと、農家さんの個別の状況をよく把握した上で、それぞれに見合うグレードのシステムをすすめています。大きく儲かる見込みがあるなら高機能のシステムをすすめますが、そうでなければ投資を少なくしてシンプルなシステムから始める等、丁寧に相談に応じながら営業をしています。
今は転換期で、農業も次世代型の道に進まないと生き残れないのだろうと思います。これまでの農業とこれからの農業の着地点を日々模索しています。

和歌山市で施工した次世代型栽培システム
Q. お仕事をされている中で、印象に残っているエピソードはありますか?
営業部門では、温室設備等の大きな設備工事が完成した際は嬉しく、やりがいを感じます。しかし、無事完成するのは当然のことであり、お客様からほめていただくようなことではありません。90歳を過ぎた農家のおばあちゃんが、「作物は足音で育つ」と言って毎日畑に出かけ、「農業はいくつになっても1年生や」と話されていたことがとても印象的でした。
【淳子さん】お店では、家庭菜園をされている方から「言われたようにやったらええもん採れて良かった。ありがとう」「たくさんできたので、お裾分けできて良かった」等とお声をいただくことがとても嬉しく、やりがいを感じます。
4.創業150年、200年へとつなぐ想い
Q. これからも大切にしていきたいことは何ですか?
ここ数年は天候が不安定でメーカーの採種も難しくなり、今までのやり方では作物がうまく育たず、何が正解か分からない状況になっています。例えばキャベツなどは暑いと種をまくことができず、その分収穫時期が遅くなります。農業にとってより厳しい時代になってきました。
種苗も昔は種苗店でしか買えなかったものが、ネットやホームセンターで買える時代になりました。だからこそ「ここに来たらええもん、ちゃんとしたものを売ってくれる、相談できる。」という、親切で真面目なお店でありつづけることを目指しています。
一方でお客さんも店員も高齢化しており、次世代にどうつなげていくのかが課題です。次世代型農業が発展してきたとはいえ、農業にはまだネガティブなイメージがあります。若者の就農を進めるには、そのイメージを変えて行く必要があると思います。
現在、種苗の業界団体である(一社)日本種苗協会の和歌山支部長をさせていただいております。県内に部会員が11社あります。皆さん地元に根付いた店舗で、和歌山の農業を支えてこられました。我々も農家さんがおられる限りはお店を150年、200年でも続けていきたいと思っています。
Q. 市駅前がどんなまちになっていけば良いと思われますか?
まちづくりと農業は直接リンクすることはないのですが、市駅周辺では飲食関係しか新しい出店はないし、2〜3年でつぶれる店も多いですね。日曜日、お盆など、店の前を歩く人がいません。子供の頃は、近所に電気屋があったり、歩ける距離で生活に必要なものが手に入り、現在のインバウンドとは違った活気がありました。個人的にはあの頃のようなまちになれば良いなとは思います。これからの若い世代にまちづくりは任せていきたいと思います。
Q. まちなかで市民農園に取り組む例もありますが、どのように思われますか?
市民農園は、袋栽培など、場所があれば屋上などでもできます。設置はできてもそれを管理し、育てる人が重要です。誰がどういう形でそれを担って行くのかをはっきりさせた上で取り組む必要があり、簡単なことではありません。
お店での取り組みとしては、次世代に植物を育てる大切さを伝えるために、伏虎義務教育学校や和歌山大学附属小学校の授業の一環で、子どもたちがお店に来て学ぶお手伝いもしています。
Q. インタビューの読者に一言メッセージをお願いします
和歌山で採れる野菜や果物は、他府県と比べてもおいしく品質が高いので、ぜひ和歌山県産の地場野菜や果物を味わってください。

左から山本康裕さん(5代目)と奥様の淳子さん
🔶株式会社 山本種苗園 所在地等
■所在地 〒640-8216 和歌山県和歌山市元博労町38
■お問合せ 073-431-9221
■山本種苗園ホームページはこちらから

店舗外観
◆インタビュー日時:2025年6月6日
※本インタビューは和歌山大学観光学部永瀬ゼミと連携して実施しました。